コイビトドウシ。
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「ねえ。先輩、先輩」

 ベッドの上の三上に藤代は背を向けたまま話しかける。
 藤代の視線はテレビ画面、ベッド横にもたれかかる定位置、三上はそのベッドの上。こちらは背中を壁にもたせかけ両脚を投げ出して座っている。藤代は三上の気配を背中で感じるしかないが、三上の目線からは藤代の旋毛が見えるだろう。
 狭いマンションの一室でくつろぐ時の二人の定位置だ。

 普通、背後に人がいるというのは落ち着かないものだが。
 藤代は自分の後ろに三上を置くのが嫌いじゃなかった。
 単純な慣れ。長年の、出会った時から始まった習慣。ピッチでの連続が、そのまま日常へ。
 時折、自分に向けられる三上の視線を感じ取ると、ただ気持ちがいい。安心する。
 そう遠くない昔、唯一自分たちの関係を知る渋沢にそんな話をしたら、藤代の原体験はすべてサッカーに根ざしてるんだな恋愛さえも、みたいなことを言われた。
 同じ場所に立つことがなくなって久しいのに、そんなふうに思う自分はおかしいのだろうか。

「先輩、聞いてる?」

 声が返ってこないことに焦れて藤代は振り向いた。
 三上はゆるく組んだ両脚の上で雑誌を広げ、めくっている。
 
「ねえってばー」

 自らもベッドに乗り上げて四つん這いの姿勢で三上のそばへと擦り寄る。
 雑誌に目をやったままの三上からは「なんだよ」と気のない返事。



「オレ先輩とコイビト同士になりたい」



「ご冗談を誠二クン」
 三上の即答。
 顔色ひとつ変わらない。
 藤代は右手を伸ばし、そんな三上の頬に触れて掌を滑らせる。
「フザけて言ってるんじゃないよ。いっしょにいても離れててもどこでもいつでもラブラブしてたいんです三上先輩と」
 三上がゆっくりと顔を上げた。
「……あのなあ」
 その表情にも声音にも呆れた色しかない。
「イヤ?」
「イヤじゃアリマセン」
「おお、では双方合意ということで」
 そのまま顔を寄せて口づける。
 三上は目を閉じない。

(こういう醒めきった態度、どうかと思うよ真剣に。
 
 ――なんて嘘だけど。)

 わざと音を立ててもう一度口づけてから唇を離す。


「何が不安なワケ」
 三上がうんざりしたような顔をして藤代を見る。
「不安じゃアリマセン」
「真似すんな」
 ぺしっと前髪をはたかれた。
「心配なんですよ」
「心配ねえ……」
 不安も心配もいっしょじゃねえか、と声に出しては言わないものの、三上の表情はそう言ってるも同然だ。
 ダメだ、コノヒトには伝わってない、藤代は思う。
「やっぱり公言しとかないとダメな気がするんです」
 三上が少しだけ興味を引かれたようだ。小さく首を傾げる。
「公言」
「コイビト同士になる、ってそういうことでしょ?」
「……そういうことなのかね?」
 どこか釈然としないような顔をして三上が答えた。


「だって。もうすぐ例のアレだし」
「?……ああ、アレね。そういえば、そういう季節だな」
 三上がテレビに目をやる。藤代が見ていたのはチョコレート――バレンタイン商戦の裏側を取り上げた番組だ。
「それで、『心配』?」
 藤代がこくこくと頷くと。
「ウチの会社はそーゆーの禁止だから。だいたい学生じゃあるまいし。ダンボール箱単位で貰う誰かさんとは違いますよ、と」
 あっさり言ってのけ、ついでに嫌味も織り交ぜる三上に藤代は今度こそ声を上げた。
「だから心配なんじゃないスか!オレが貰うのなんかとは彼女らの本命度が違うんスよ、本命度が!こう真剣な眼差しで迫られたら、先輩なんか、うっかりほだされちゃいそうじゃないッスか!」
「信用ねえな、おい」


「先輩、オレ最近考えるんですよね」
 藤代は腕組みして文字通り考え深げに目を伏せた。

「たとえば、胸見えそうなブラウス着た女のコに『アナタ三上さんのなんなの!?』って詰め寄られたとき、オレ胸はって『コイビトです』って言いたい」
「言えばいいじゃん。つーか、俺もスタジアムで青いユニ着た女のコにそんなふうに迫られたら言い返してみてえかも。『勝手にヒトのモンの名前入れないでください』とか背中指してさ」
 三上がカラカラと愉快そうに笑う。
(スタジアムなんか来たことないくせに〜)
 笑っている三上を横目に、藤代は思わず不満顔になる。
(ていうか、アンタならそのまま、そのオンナノコたちと遊びに行っちゃいそーだよ。「俺、アイツの先輩だったんだぜえ」とかなんとかオレのことダシにしてさ。……ああ!ありそう!)
 藤代が自分の思いついた考えに頭を抱えていると、
「いいよ」
 三上が腿の上においていた雑誌を横にのけて言った。

「三上先輩?」
「コイビト同士とやらになりましょう」
 やたら綺麗な笑みを浮かべて三上が言った。

「ほんとにッ?!」
 藤代が身を乗り出すと。
「とりあえず手始めに何を貢いでもらうかな『コイビト』に」
「そういうことを真顔で言わないでくださいよ……。ホントに夢も希望もナイんだから」
 ガクリと肩を落とした藤代の横で三上が呟く。
「ユメ、ねえ……」


 しばらく考えていたようだった三上が言った。
「やっぱりアレか、コイビト同士なら名前で呼び合うとか」
 先ほどまでの微笑は消えて、今度はにやにや笑う。

「え」

 すっと身体を起こして、滑るように藤代のそばへ身体を寄せると。
「誠二……」
「みっ、三上先輩?」
「亮って呼べよ、誠二」
「わー、キモイ!キモイっすヤメテ〜」
 藤代は思わずベッドに突っ伏して、笑いながらのたうち回ってしまう。
「てめえ。キモイとか言うな。実際キモイけどよ」


 ひとしきり笑って。


「もういいよ。先輩ちっとも本気で聞いてくれないし〜」
 スネたフリをしてベッドにうつ伏せに倒れ込むと枕に懐く。
 なにかこう、伝えたいことがうまく伝えられていない、そんなもどかしさが抜け切らない。終いはいつもの言葉遊びに落ち着くとしても、それでも藤代は何かを訴えたかったのだ。
「オマエがくだんねえこと言い出すからだろ」
「くだらなくなんかない」
 
 三上が真横で苦笑する気配があった。
「なに、どうしたの誠二くんは。急に甘えて」
 髪に触れられる。こんな時ばかり三上は大人でやさしげだ。
「お前がそんな、言葉欲しがるなんて珍しいな」
 頭上から降ってくる三上の声はどうにも穏やかでやさしげで――少し寂しげでもある。
 藤代はぎゅうっと枕に顔を埋めて目を閉じた。


 言葉なら欲しい。いつだって。
 過ごす時を重ねるほどに確証が欲しくなる。知らなかった。もっと不確定でもかまわないと思っていたのに。


「……少し、疲れた?」
 そこで藤代ははっとする。
 そういうつもりじゃなかった。でも、言ってることはそういうことを指していると思われても仕方なかった。


 誰にも言えないこの関係。


「そうじゃなくてオレは!」
 がばっと起き上がって。そこに、三上の小さな笑みを見る。
「知ってる。わかってるから、そんなムキにならなくてもいいぜ」
「……先輩ごめん」
「謝んな」


 コイビトドウシ、なんて甘いラベルは非現実的で。


「オレどうかしてる……。そんなの気にしたことないのに……」
「だから、疲れてるんだろ?」


 誰にも言えない。
 惚気も言えない。愚痴もこぼせない。自慢もできない。


 隠す。
 無意識に、他人との何気ない会話の中でさえ細心の注意を払っている自分。
 隠し続ける。隠し続けなければ。ずっと。今までも、これからも。


 頼りになるのは自分たちの感覚だけ。それがすべて。
 客観的な物差しはなにひとつ、ない。


「疲れてんのかな?」
 言って溜め息をひとつついた。よしよし、というふうに三上に頭を撫でられる。さっきから三上はやたら甘い。藤代の、持て余しているなにかをあやすように振る舞っている。藤代も甘えている自分を自覚していた。
「オフだし。普段サッカーのことしか考えてない脳みそに余計な隙間ができちまうんだろうな」
「それ、すごく先輩らしい言い草っすよ……」
 藤代が力なく言うと、三上が笑った。



 その笑顔で。
 何も既存のラベルはいらないと、




 思いはするのだけれど。























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