夜景を見たい、なんて突拍子もないことを口にして呆れられ、時には怒られるのは相変わらずだけれど、それでも最近の先輩はちょっと変わった。 やさしくなった。ピリピリしなくなった。 つまるところ、許容の幅が大きくなった。 そんな先輩はオレなんかよりずっと落ち着いてて、ここだけの話、ちょっと凄みを感じることだってあるんだ。けれど裏腹にどこか儚い。 眇めた瞳は常に何かの予兆を湛えているようだ。 ああ、お願いだから。 そんなに先におとなになってしまわないで。 独白 ---------------------------------- 先輩の部屋を訪ねる。 そうして学生時代よりはずいぶんと筋肉の落ちた身体を抱く。 肌の色も変わった。 生傷なんて滅多にない。 対して抱く側のオレは日焼けして擦り傷だらけで――オレばっかりがいまだ高校生のようだ。 先輩はいつでもちょっと疲れていて、でも充実しているようで、しごと楽しいんだろうなあとオレにヤキモチを焼かせる。サッカーより楽しいことなんてそうないはずなのにね。 サッカーしか知らないオレとは違って、この頭ん中には社会の仕組みだとか世の中の決まりごとだとか、そういったものの知識や経験や思索が詰まっているんだろう。それはオレには想像もつかない、遠い異世界の出来事だ。 ときどきオレはそんな先輩を自分のもとへ攫ってしまいたくなる。 攫って閉じ込めて―― 最近のオレはそんなことばかり考えているよ。 この前ホテルに連れ込んで――というとなんだかとても猥雑な感じがするよね、するけど実際は先にホテルにチェックインしたオレの元に来てもらっただけの話だ。だってそのホテル、三上先輩の職場の真上にあるんだもん。 部屋に来た先輩は終始だるそうだった。も少し洒落た言い方をすれば気怠るげ。こういうときの三上先輩は超絶に色っぽいけど、でも実は怖くもある。この人、開き直ると本当に強い。何を考えてるのか、わからない目をする。 オレを言葉で挑発した。 囲う、って言った。 どきりとした。 オレは仕方なさそうにいなしてみせたけど、内心は図星を突かれてうろたえまくっていた。 そうそうそうなんだよ先輩。よくわかってるね先輩。 オレ、先輩のこと閉じ込めてめちゃくちゃにしてみたいんだよ。昏い欲望。三上先輩は何でもよく御存知だ。 気を抜くと本当に欲望どおり実行してしまいそうで、ベッドの上でオレはことさら理性的に振る舞った。暴走しそうな身体を精一杯セーブする。先輩の黒髪がホテルのぱりっとしたシーツの上に散った。上がる心拍。オレはやっぱり今でも高校生みたいだ。高校生みたいにドキドキしている。 この人はオレの大切な人。本当はもう誰にも見せたくない。オレの腕から出したくない。オレだけを「世界のすべて」みたいにしてやりたい。オレを見てて。オレだけ見てて。 ああ、もういきなり突っ込んでしまいたい。繋がりたい。たぶんそうしても三上先輩は赦してくれるだろう。赦してしまうだろう。歯を食いしばって痛みに耐え、それでもオレの背に手を回し、オレの名を呼び、――オレを愛するのだ。 泣きそうになる。 突然泣いたら驚くだろうな。そんなにホテルでやりたかったのかてめえは。とかなんとか、わざとハズれたことを言ってオレを慰めてくれるだろう。やさしい。やさしい先輩。ねえ、お願いだからそんな遠くを見ないで。ここは塔の上だよ。そんなふうに見つめてもどこにも行けないよ。 ――ねえ先輩……。 ――な……んだよ……。 睦言は耳に囁く。 ――なんで人は夜景見ながらエッチしたいとか思うんだと思う? ――……知る、かよ。 「オレはなんか今日わかっちゃった」 すべての真理はここに。 「高い塔にお姫さまを閉じ込めちゃうのといっしょなんだよね」 童話になぞらえれば昏い欲望も綺麗にオブラートにくるまれて、まるでお菓子の家のように甘く。 「もうお前黙れ」 「さっき先輩、囲うって言ったけど、ほんとそんなカンジ。閉じ込めるんだ。自分の城の中に。自分の権力で作った城ですよ」 閉じ込めて出さない。どこにも行かせない。オレにはその力がある。両手にありあまるほど。いや、この場合は両脚かな。いくらでも稼ぎ出して湯水のようにつぎこんでやる。 甘く甘く拘束するんだ。 あ。でも三上先輩甘いものニガテだっけ。 「男ってホントどうしようもないね」 責任を全人類の半分に押しつけてオレは笑った。 「……どうしようもねえな」 全人類の半分のうちのひとりである先輩も笑った。 「ロマンティストで」 「バカで」 うつくしく『ロマンティスト』と発音したオレを嘲笑うかのように先輩はやけにはっきりとした声音でバカと言った。戻ってくる日常感。童話の塔からオレは帰還した、日本国東京都港区。なんとかプレミア・ツインルームへ。 『カップルにもオススメ、二面の窓いっぱいに広がる夜景がロマンチックな夜を二人に約束します』 手にしたどこかの旅行会社のパンフレットにあった言葉。 ロマンティックじゃなくてロマン「チ」ックのほうが即物的でいいよね。オレにぴったり。 そしてここにもロマンに程遠い人間がもうひとり。 「シーツだけは死んでも汚すなよ」 わはは、現実現実超現実。 心の中は大笑いだけど、オレはつまらないという顔をしてみせる。 「うわ、また現実的なこと言うし」 「当たり前だろ。ここは俺の部屋でもなけりゃ寮でもねえん…だ、から」 あんまり先輩がロマンから遠ざかろうとするのでお仕置きです。 「藤……ッ」 先輩の顔が歪む。それだけでもうオレの中の何かに火が放たれる。おさまってはすぐに沸き立つ衝動。 「だいじょうぶ。バレたりしませんよ。……もしバレそうになったら、」 「―――ッ」 「どんな手でも使う」 そう、オレの両手、もとい両脚には権力が溢れている。この全能感。薄っぺらな全能感。 「だから安心して」 子どもだから無限の可能性を信じられる。 なんでもできるって思っていられる。 子どもは強いよ。だけど――無力だよ。 何でも御存知の三上先輩は知ってるでしょう。 「お前は……、そろそろ……、望んだものすべてが、手に入るなんてないってこと、学んだほうがいい……」 オレはバカだからそんなもの一生学んだりしない。 |
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