「クレーム来てまーす」


 そう言って三上に書類を持ってきた女性の先輩は気の毒そうな表情を作ってみせながらも、どこか面白がっているようすなのが見て取れた。思わず半目になった三上に彼女も今度は笑いを隠さず、「大阪」の一言とともに三上の前に書類を突き出す。
 受け取ってざっと目を通す。彼女のにやにや笑いの理由がわかった。書面にあったのは、長い付き合いだが一癖あるので社内でも有名な顧客だ。
「前任者のミスだから、後任の三上には災難なんだけどネ。対応と併せて、一ヵ月後の本番立ち会いヨロシク。まあ何か美味しいものでも食べてきてよ。ははは」
 ははは、じゃねえよ。
 三上は心の中で毒づく。無論、口には出さない。
 こういうことは多かれ少なかれ誰でも体験するであろうことなので、先輩の言うとおり運が悪かったなと三上も思うだけだ。
 本社に移ってきて、引き継ぎされた顧客の名を見たときから、ある程度の覚悟もしていた。
「それからコレ」
「なんスか?」
 ピラピラと差し出された五千円札。
「出張の際は各地の名物をお茶請けとして調達してくるのが本社の伝統なの」
 にっこり微笑む彼女に、軽く溜め息をついてみせてから紙幣を受け取る。
「はいはい、了解です」
「アラ、ちゃんとこうして餞別だって渡してるんだから、そんな不満そうな顔しなくてもー。普通は自腹よ?」
「どうせ出所は各自から徴収したお茶代じゃないスか」
 先日ほとんど半強制的に回収された記憶も新しいので、つい言葉が出てしまう。
「三上も甘いもの食べられたらよかったのにねえ」
 さも気の毒そうに言ってみせるが、もちろんそれも演技だ。
 どうも自分は年上の女性から、からかいのネタにされることが多いようで(本社に移ってからは特にその傾向が強い)、三上はそれ以上何も言わず殊勝な態度をとっておく。
 彼女はそんな三上の態度にちょっと拍子抜けしたような顔をして、それからすぐにいつもの業務の口調に戻り、「よろしくね」と言い置いて自分のデスクに戻っていった。


(大阪か……)
 預かった五千円札を財布にしまいながら、三上は考える。
(日帰りは厳しいな。前泊するか)
 スケジュール帳をめくって日程を書き込もうとした三上は、ふとその前に記入してあった予定に目を留めた。
 と言っても、その内容ではなく、まず文字に視線は釘付けになった。
(アイツ、いつの間に……!)
 癖のある大きな字で『代表戦!』と堂々書き込まれている。まだほとんど真白い三月のスケジュールの中で、その鉛筆書きの文字はそこだけ異様に浮きまくっていた。
(そういやこないだ「手帳見せてくれ〜」とかなんとか言って……)
 ベッドに沈み込んで起き上がってこられない三上をいいことに、強引に了承を得てパラパラめくっていたような気がする。まさか、こんな書き込みまでしているとは思ってもみなかったが。
 まるで学生の頃から変わっていない、藤代らしい悪戯に三上は呆れを通り越して苦笑した。

(そうか、代表戦か)

 若年世代からずっと注目され、国際試合にも頻繁に出場していたわりには、所属クラブの不調や本人の怪我などもあって、なかなかA代表には定着しきれていなかったのが藤代だ。
 昨年の夏頃からようやくコンスタントにA代表の召集を受けるようになり、親善試合では何度か出場機会も得ていた。
 誰の目にも藤代が今、上がり調子なのは見て取れた。
 今年はおそらく彼にとって重要な年になる。いわゆる分岐点だ。三上が昨年、本社移転という仕事での転機を迎えたように、藤代にもなんらかの転機が訪れる――三上の予感だった。
 そして三月のこの試合は今後を占う大事な試合になるだろう。
「………」
 三上はマウスに手をやってブラウザを立ち上げた。
 仕事に関連したブックマークが並ぶ一番最後、個人的なブックマークのフォルダを展開させる。
 記憶していたとおりだ。
 今度の代表戦は、大阪は長居スタジアムで開催される。

(つまり前泊するなら『ついでに』観戦できてしまうわけだ)

 狙ったようなタイミング。
 クレームを出した顧客にも、ミスを残していった前任者にも、話をもってきた女性の先輩にも、思わず感謝しそうになる。
 我ながらゲンキンだな、三上はこっそりと口の端で笑った。
 ただ、ひとつ困ったことに。
 チケットの全国一斉発売日を確認して、その日付に思い当たったことがあった。

(ヤバいな……) 



■■■



「悪い。今度の日曜な、都合悪くなった」
『えー!なんでですかッ!その日はゼッタイ休み取れるって言ってたじゃないスかァ!オレもやっとキャンプ終わって帰ってきたとこなのにィ!なんでまた急に!』
 耳元で叫ばれて、三上は受話器を耳から離した。
「また今度な」
『今度っていつですか!アンタ、前もそーやって会ってくれなかったじゃないですか!もー、いつまで待てばいいんだよ!仕事?ねえホントに仕事なんですか?』
 詰め寄ってくる藤代に、電話でよかったと思いながら三上は言った。
「……いや、仕事じゃないんだけど……仕事みたいなモンかな……」
『家でやるんですね?それじゃオレ邪魔しないから行ってもいい?』
「だッ、ダメだ!」
『なんで!』
 悲鳴のような藤代の声にまた三上は受話器を遠ざける。ここは早く切り上げた方がいい。
「いいか!とにかく俺はその日、忙しい。また別の日に埋め合わせするから今回は諦めろ」
『あんまりだーッ!先輩ひどすぎま』
 相手が最後まで言い終えないうちにブツリと電話を切ってしまう。藤代の憤慨しているようすが目に浮かんだが、これ以上つきあっていても埒があかないのはわかっていたし、何より押し切られてしまいそうな自身をよくわかっているからだった。なんだかんだ言いつつ、三上は藤代の押しに弱い。

(あいつの前で、どのツラ下げてチケット予約の電話をしろと……)
 
 もちろんバレないように電話することくらいは可能だ。
 しかし。
 代表戦のチケットが手に入りにくいことくらいは、さすがに三上も知っている。きっと何度もかけなおさないと電話は繋がらないだろう。目的を隠せても何度も電話をかけなおす三上のそばで藤代が大人しくしているとはまず思えない。あれこれとちょっかいを出された挙句、なし崩し的に……なのは想像に難くない。

(……とりあえず、夜に電話入れときゃいいだろ)

 本当は三上だって、できれば会っておきたかった。
 藤代の長いオフの期間にも三上の都合でほとんど予定は合わなかったし、三上の方が一段落したと思ったら、今度はすぐに藤代のキャンプが始まってしまった。これでまたシーズンが始まれば、顔を合わせる機会すら作るのが難しくなる。
 ただ、みすみすこのチャンスを逃すのも惜しくて、今回ばかりは強引な嘘を通した。

(ゆるせよ、藤代)

 三上は自室の卓上カレンダーを手にとって、二月の右上、小さな三月のカレンダーの中のひとつに丸をつけた。代表戦。



■■■



 そして、迎えたチケット発売日。
 三上は予想以上の困難を強いられることになる。


 休日にもかかわらず早起きして、全国一斉発売時間の十時に間に合うよう家事を済ませたまではよかった。
 なにせ時間はたっぷりある。今日は丸一日フリーだ。
 最初のうち、まったく電話が繋がらなくとも、三上はそれほど気に病まなかった。
 遅くとも昼頃には繋がるだろうと、気楽にかまえていた。
 しかし――その昼を過ぎても受話器の向こうでは相変わらずの、話し中を知らせる電子音。
 もしくは。
『ただいま回線が混み合っております……』
 女性の声でテープに吹き込まれた、この台詞を何度聞いただろう。
「ちくしょー!こっちは大事な予定キャンセルしてまで電話してんだぜ!繋がりやがれ!」
 思わず手にした受話器を叩きつけて――しかし、またすぐに持ち直しリダイヤルボタンを押す。
 元々こういう類の電話はかけ慣れていない三上だ。性格も気長なほうではない。募るイライラに手許に置いた冷めたコーヒーをあおり、それでも諦めることもできずに電話の前から離れられずにいた。


 三上の涙ぐましい努力が実ったのは、午後四時。
 ようやく回線が繋がったのだ。
 貴重な休みをほとんど電話の前で過ごすという、あまり思い出したくない休日になったが、とにかく目的が果たせればそれでいい。
 三上がそう思ったのも束の間。
『………日本代表戦のチケットは全席種とも完売いたしました……』
「………」
 無機質な音声テープでのアナウンスに三上は受話器を持ったまま固まる。

(完、売)

「それならそうと早く言ってくれ……」
 電話から離れると、ぐったりベッドに倒れ込んだ。
「あー、俺はアホだ」
 こんなことなら最初から手を出すんじゃなかった、そう後悔しても過ごした一日は戻ってこないし、当然チケットも手に入らないことに変わりはない。
(慣れねえことはするもんじゃねえなあ……)
 ぼんやりと天井を見つめる。
 目を伏せ、もうこのままフテ寝でも決め込もうかと思った時。

『ピンポンピンポンピンポーン!』

 耳をつんざくようなソレに三上はぱちりと目を開けた。
 チャイムが壊れるんじゃないかというイキオイで誰かが立て続けにそれを鳴らしている。
(誰かっていうか……あんな鳴らし方すんのはアイツしかいねーって)
 三上は倒れ込んでいたベッドから起き上がると、よろよろと玄関口に立った。
 ドアを開けると予想どおり、雪崩れ込んできたのは藤代。
 しかも、鳴らしたチャイムそのままの、すごい剣幕で。
「三上さん!アンタ、誰と話してんですか!一日中!電話しても電話しても話し中じゃないスか!どーゆーことっスか!」
「ドア、まずドア閉めような」
 胸倉を掴んでくる藤代をかろうじて諭して、なんとかドアを閉める。
 もうそれだけで残り少なかった気力を使い果たしてしまいそうだった。
「先輩!オレの質問に答えてない!家にいて何してたんだよ?仕事してたんじゃないの?」
「ああ……だから……そういう仕事だったんだよ……」
 もはや抜け殻状態の三上にうまい言い逃れをするだけの余力があるはずもなく。
 対照的に藤代の勢いはおかしな方向に増してゆく。
「そういう仕事ってなんだよ!アンタそういうバイトしてんですか!もー信じられない!ガマンしたオレが馬鹿だった!ああ、馬鹿だった!」
 なにやら一人で怒鳴って一人で完結している藤代を、ぼんやりと見ていた三上だったが、急にその腕を引かれてよろめいた。
 視界があっという間に回って。
 次の瞬間にはもう藤代の顔が目の前にあった。藤代に抱きこまれるようベッドに押し倒されたのだった。
「決めた。もう我慢しない」
 そんな藤代の短い台詞に、三上はそこで初めて焦った。
「ちょ、待て!今日は俺疲れて……ッ」
 精神的にもかなり疲労していたし、ずっと電話していたせいか腕と耳が痛い。
 しかし、そんなことを聞き入れる藤代でもなかった。
「へえ、疲れるようなことしてたんだ?一人で電話しながら」
 かえって不穏な笑みを浮かべてみせて、三上の腕を掴む掌には力が込められる。
「いや、なんかオマエ激しく誤解してるだろ……」
「ヒトリでするよりいっしょにした方が楽しいですよ?なんなら電話かかってきたら、オレがちゃんと受話器とってあげるから。先輩は声だけ出してりゃいいんですよ」
「だから、なんでそーなるんだよッ!」
 ここまでくると藤代もわかっていて単に言いがかりをつけているだけなのだ。証拠に、表情こそ不満そうだが、その目にはちらりと悪戯っぽい光が浮かぶ。
「ヒトに隠れてコッソリ悪いコトしてる三上サンにはお仕置きしなきゃね」
「な、に言って……んッ…」
 押し倒された姿勢のまま唇を貪られる。すぐに身体から力が抜けてしまって、藤代はそんな三上の反応に満足したようだ。
 唇が離れ、忙しなく息をつぐ三上を藤代が目をすがめ見下ろしている。
「今日は存分に埋め合わせしてもらいますよ?カクゴして」
「冗談…ッ」
「先輩が本当のこと言ってくれないから身体に直接聞くんですよ。何かやましいことがないか」
「な……!」
 よくもまあ、そんな恥ずかしい台詞を言ってのけるな、と三上は気恥ずかしさからくる呆れ半分、そして焦り半分で藤代を見上げた。藤代の目は本気だ。
「ふじ……ッ」
 三上がその名を口にするのより早く、藤代に唇を塞がれる。
 あとはもう、声は言葉にならなかった。



■■■



 言いがかりにかこつけて、とはいえ藤代に疑念がまったくないというわけでもないらしく、いつになく執拗に責められた三上だった。
 普段なら絶対に赦さないようなことまでされて散々啼かされた。
 もう何度も身体を重ねてきて今さら羞恥もないものだと思っていたが、三上は自分の甘さを知る。手加減しないと決めた藤代がどれほど容赦がないか。
 身体は指一本持ち上げられそうにないほどの重さだし、何より藤代の顔をマトモに見ることができない。
 結局は藤代に抗えず溺れていった自分の姿を思い起こさせるからだ。
 あの瞳に見つめられて自分がどんな痴態を晒したか―――

(カンベンしてくれ……)

 羞恥とも自己嫌悪ともつかない、なんともいたたまれない思いに三上はベッドに沈み込んだまま、シーツに突っ伏す。
 しばらくそうしていて、ふと気づいた。
 やけに背中が寒いと思ったら、隣で寝ているはずの藤代がいないのだ。
 ベッドを抜け出してどこへ行ったのかと視線をめぐらせば、部屋に置かれた電話の前でぼんやりと立っている藤代の後姿が目に入った。その右手には受話器。
「………」
 なにげなく寝返りを打ちかけ、――三上は、はっとする。
「おいコラ!藤代!てめえ何勝手に電話触ってやがる!」
 思わず叫んで起き上がろうとしたが、身体がいうことをきかない。
 本当はすぐにでも藤代の手から受話器を奪いたかったが、まずベッドから起き上がることができそうにもなく、ただ三上は声で牽制するしかない。
 舌打ちして三上は仕方なくベッドの中から藤代の背に向かって怒鳴りつける。
「触んな!戻れって!……ッ寒いんだよ!寒い!」
「あ、ごめん」
 わめく三上に今やっと気づいたというような顔をして藤代が振り返った。
「へっへっへ〜、スミマセン。オレいないと寒かったんだ?」
 上機嫌でベッドの中に舞い戻ってくる藤代の表情を目にして、三上は確信した。

(バレた……)

 間違いない。おそらくリダイヤル機能を使用したのだ。
(人の手帳勝手に見たり、あげく書き込んだり、リダイヤル勝手に調べたり、本当にオマエというヤツは……!)
 それでちっとも悪びれたところがないから騙されるのだ。
 ここらでそろそろ説教のひとつやふたつしておいたほうがいいのかもしれないと三上は思うが、今は効き目がないだろう。
 それに、結局そうした藤代の行動を赦しているのが他ならぬ自分自身なのだから世話はない。

「もー先輩、代表戦のチケットくらい一言オレに言ってくれたら手に入れんのにィ」

 三上は無言で藤代に背を向ける。同じタイミングで後ろから抱き締められた。肩甲骨のあたりにぎゅっと顔を押し付けられる。くすぐったくて暖かい。
「先輩?」
 促す、藤代の楽しげな声。
「………知り合いに頼まれただけだ」
 藤代が声もなく笑っている気配がする。三上はいよいよ眉を顰めた。
「何枚ですか?ン?ほら言ってみて?」
「………大人一枚」
「知り合い?」
「………だから…………………悪かったよ」




「わー!もー!ドーシヨ、オレ!めちゃくちゃヤル気出てきた〜ッ!」
「暴れんな!」
 狭いベッドの中でゴロゴロ転げ回る藤代に押し出さそうになって、三上は声を上げた。
「先輩が観に来てくれるなんて大阪出張バンザーイなカンジだ〜」
 にこにこ笑う藤代に、三上はヤレヤレと溜め息をついてみせる。
「クレーム処理に行くんだけどな……」
 ボソリとこぼした独り言も、もちろん藤代には聞こえていない。いや、聞いていない。
「もーオレがんばっちゃいますからネ!」
「あーハイハイ。存分にがんばっちゃいなさい。俺は寝る」
 あやすようにヒラヒラ手を振ってみせてから、三上は寝返りを打って藤代に背を向けた。
 藤代は寝転んだまま天井に向かって腕を突き上げて。
「先輩のためにゴール決めますから!そんで決めたら先輩に向かって投げチューしますからね!」
「やめれ」
 えへへ、と藤代が笑う。
 本当に呆れるくらいの喜びようで、なんだかそばにいるこっちが照れてしまうくらいだ。
 こんな無邪気な藤代は久しぶりに見た気がする。

「こら。よせって」
 また背中に唇を押し当てられて、三上は身を捩った。
「だって先輩、オレすごく嬉しい」
「………」
 ひどく実感のこもった藤代の声と、肌にぶつかる息、繰り返されるキスに、三上は目を伏せた。


「でも最初からそう言ってくれたらよかったのに。先輩がホントのこと言ってくれないから心配しちゃって今日はやりすぎちゃった」
 まるで悪びれたようすのない藤代に何か文句を言ってやろうとして振り返り、けれど三上は声を出せない。
「ゴメンネ。でも、たまにはいいね。ああいうのも」
 そう言って藤代が。
 さきほどのはしゃぎようとは、また打って変わって大人びた笑みを浮かべてみせたからだ。

(ホントに俺は………どうしようもねえな)

 無邪気に喜ぶ藤代も、今みたいに不敵に笑う藤代も。それがすべて自分に起因したものだと思うとどうしようもなく満たされる。三上が自分の中の独占欲を強く感じるのはこんなときだ。
 彼の中の何かを自分が動かす、自分の中の何かを彼が動かす、互いに影響しあう、その快感――



■■■



 合宿中の渋沢から携帯に電話がかかってきたのは、数日後に試合を控えた平日の夜だった。
 自社の休憩コーナーで缶コーヒーを飲んでいた三上は携帯を空いた片手に持って、久しぶりに学生時代の親友と言葉を交わした。
『三上。いったい藤代に何を言ったんだ?』
「は?」
『すごいよ毎日。もともと集中力は高いヤツだけど、今回の合宿では尋常じゃないモチベーションを維持してるよ。あんなに試合に出せオーラを放ってる藤代は久しぶりに見』
「それと俺とどういう関係が」
 渋沢の話は基本的に長い。長い上にこちらが聞いてもいないことまで御丁寧に説明してくれる。三上が渋沢の言葉を途中で遮って喋り出すのはいつものことだ。
『監督なんか、身の危険を感じる、とまで冗談でこぼしているくらいだよ』
「人の話を聞け」
 これもまたいつものことだった。渋沢は一人で喋って一人で笑っている。
『もう俺なんか毎日殺されそうなシュート打たれてタイヘンなんだぞ?』
「勝手に殺されてろ!」
『何があったんだろうな?藤代に』
「知らねー」
『三上?』
「俺が知るわけねーだろ。ってゆーか、お前も余裕だな!アイツのモチベなんか気にしてる暇があるとはな!さすが代表キャプテン様!」
 場所を忘れ思わず大声でそんなことを言ってしまってから、三上ははっとする。
 幸い時間も遅いせいか周囲に人はいなかった。
 三上はほっと胸をなでおろす。
 もちろん渋沢がそんな三上の事情を知るはずもなく、彼は呑気に笑って答える。
『あはは。そっちの件はまだ本決まりじゃないよ。マスコミには話が流れてるみたいだが。三上もけっこう詳しいんだな』
「別に……」
 三上は俯き、しばし逡巡した後、ぽつりと口にした。
「お前らのことはやっぱり気になるよ」
「俺も入ってるんだ?」
「アタリマエだろ」
「そうか。ありがとう」
 律儀に渋沢が礼を言う。


「まあ、滅多にないことだし、あいつも楽しみにしてるみたいだし、もちろん俺も楽しみだし――三上にも楽しんでもらえるような試合をするつもりだよ」
「―――」
「道中気をつけて」
「狸」
 三上の一言に渋沢が声をたてて笑った。
「ったく、知ってやがったんならさっさとそう言え。まあ、そんなこったろうとは思ってたけどな。藤代のバカが黙ってチケット調達してこれるはずなんてないだろうし」
「三上、藤代にチケットを手配してもらったのか?」
「え?」
 ヤブヘビだったらしい。電話の向こうの渋沢の面白がる気配が増したのが伝わってくる。
 あれこれ取り繕うのもすでにバカバカしい気持ちになっていた三上は正直に白状する。
「自力じゃ取れなかったんだよ」
「そういうことか」
 渋沢は笑って、それから、口調を少し改めて言った。
「三上が来ると藤代から直接聞いたわけじゃないよ。ただ――」


「うちのエースの士気を高めるのは昔からお前の役目だったろう?」


 渋沢の穏やかな声に、三上も淡い笑みを浮かべた。

「そうだったっけかな」
「そうだよ」

「だからすぐにわかったんだ」
 にっこりと微笑む渋沢の顔が目に見えるようだった。
 三上は深く息を吐いて、がんばれよとだけ告げて電話を切った。



■■■



 かくして結果は――


 藤代は公言したとおり、ゴールを決め、例のパフォーマンスをやってのけ、メインスタンドの三上をのけぞらせた。
 本当に決めると言ったら決める男だ。
 世の中にはそういう人間がいる。
 彼の、ストライカーとしての資質を久々に目の当たりにし、三上は震えさえ覚えた。
 間違いない。
 藤代のサッカー人生は、今年大きく動く。


 それにしても、その瞬間に周囲で嵐のように沸き起こった黄色い声にはさすがの三上も参った。
 元から周囲には若い女性が多かったのだが、皆が皆「こっちを向いた」と大騒ぎで、試合が再開されてもしばらく騒然とした雰囲気は収まらなかったのだった。
 三上は苦笑する。

(あんなこと、ホントにやるなんてバカじゃねーの)

 しかも、目線はしっかり三上を見ていたから驚く。

(目ざとすぎてこえーよ)

 だけど実はピッチから観客席がよく見えることも三上は経験から知っていた。
 両所は思いのほか近いのだ。






「先輩、また来る?次いつ来る?」
「お前がゴール決めるって約束すんなら、また行ってやってもいいぜ?」
「約束するする!」
















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20030216発行のコピー誌「confidential;2」より再録。