Everything
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 だって仕方ないじゃないか。
 先手必勝。
 それが信条の自分が、情けないことに、あの人に関することには、いつだって先手を打たれてしまうのだから。





 卒業後、プロへの入団が決まった渋沢と、大学に進学してサッカーを続ける三上が、『たまたま』互いが属するクラブと大学の所在地が近かったために同居を始めた。
 中学、高校と寮の同室で過ごしてきた二人がそのままいっしょに住むことに違和感を覚える者など周囲にはもちろんいなかった。
 ただ、ひとりを除いては――
 渋沢と三上の同居の話を聞いたとき、二人に詰め寄って「じゃあ、オレも渋沢さんと同じクラブに入ったら、メンバーに加えてくださいよね!」と半ば強引に約束を取りつけたのが藤代だ。
 自身のプロ入りを信じて疑わない藤代の発言に三上は呆れ、渋沢は「待っているよ」と快諾したのが約一年前。





(コレじゃ予定が違うんだってば、もう)

 電車に揺られながら、その車窓の向こうを流れゆく風景をぼんやり眺めながら藤代は思った。
 念願かなってプロには進んだが、それは渋沢が所属するクラブとは隣県に位置するクラブで、おまけに新人は問答無用での寮入りが義務付けられていた。
 おかげで自分は、こうして一時間もかけて、彼らの住む市の最寄駅まで通うありさまだ。
 寮住まいなら車も必要ないだろう、と免許を取りに行くこともまだ許されていなくて、仕方なしに電車を利用している。
 最初は乗り合わせた女子高生が自分のことに気づいて、チラチラこちらを見てくる視線にちょっと気分をよくしたりなんかもしていたのだが、慣れてくるとそれもただ面倒なだけだ。

(高校生か……)

 ちょうど電車に乗り込んできた高校生の一団に目をやって、藤代はふと思った。
 皆それぞれにスポーツバッグを肩から下げて、これから近場へ遠征なのだろうか。
 自分たちはそういえば電車で移動したことなんかあまりなかったな、と環境に恵まれていた中学高校時代のことを思い出す。
 毎日サッカーとあの人のことばかり考えていた。
 それは今もあまり変わらないのだけれど――



 実は三上とは武蔵森在籍中、一度だけ。
 一度だけキスしたことがあった。



(あれでゼンブうまくいったと思ったのが甘かったんだよなァ)

 超がつくくらい照れ屋の三上は、その後も態度が変わらず、いや以前にもまして素っ気なくなったようにすら感じたのだけど、でも藤代は満足だった。
 毎日が天国だった。
 好きな人がそばにいて、好きなサッカーをともにやれる幸せ。
 三上が先に卒業してしまっても、こんな幸せが続けばいいと思っていた。続くと思っていた。なんの根拠もなしに。
 だから自分の卒業を待ってもらっていっしょに住もうと考えていた藤代は、目の前で起こった、予測できたはずの、当然といえば当然の流れにまるで対応できなかった。
 それこそ青天の霹靂だった。
 反対する理由なんてどこにも見つからず。
 せめて自分の卒業後はと、そんな約束を取り付けるので精一杯だった。
 もし自分が――同い年だったなら。
 司令塔の絶対的信頼を誇った守護神の腕から、あの人をさらってゆけただろうか。

(そんなことはわかんないケド……)

 少なくとも同じスタートラインには立てたはず。
 ――たったひとつの歳の差が、いつだって自分とあの人の間を大きく阻む。



□□□



『いいからテキトーに時間潰しとけ!』

 三上の傍若無人ぶりには慣れているけれど。
 携帯の向こうからした声は、かなり素っ気なくて。
 取りつく島もありはしない。
 藤代はプツリと切れた手の中の携帯を見つめ――大きな溜息をついたあと、その場にうずくまるよう座り込んだ。
 思わず額に手をやって、目を伏せる。

 駅前広場は待ち合わせのメッカ。
 携帯が鳴った直後にこれじゃ、まさにフラれましたと言わんばかり。

 大の男がこんなトコで何やってんだか、と冷静な思考もあるのだが、投げやりな気持ちが支配して立ち上がる気がしない。
 こんなふうに気分が滅入るのは、何も今さっきの三上の電話のせいだけじゃない。
 電車で片道一時間の距離。
 そして先週も同じように待たされて、ついに痺れを切らして彼らの部屋に行ってしまった時の記憶が――

 ことに後者は、今もまだ自分の中で燻っていて出口を見つけられずにいた。
 藤代の憂鬱は続く。



□□□



 渋沢と三上が同居する部屋は駅から近いとも言えないが、そう遠くもなく、十分歩いて行ける距離にあった。
 ただいつも三上との待ち合わせ場所は駅前で。
 藤代はそれまで一度も渋沢と三上の部屋に遊びに行ったことがなかった。
 昨年、まだ高校生だった時は妙なこだわりが自分の中にあって、どんなに渋沢に誘われても忙しさを理由に断り続けていたのだ。
 今はもう、さほど頑なに拒む必要もなかったのだが、三上があまり部屋に来ることを喜ばないふうだったので、藤代もあらためて訪問はしていなかった。



 だが、あの日。

『悪い。今、大学。ちょっと遅れるから。一時間くらい』

 一応は謝りの言葉とともに三上からそんな連絡があって、藤代はなぜだか急に訪ねてみようという気になったのだ。
 どうせ三上はいない。もしかすると渋沢だっていないかもしれない。
 だから単なる暇つぶし。
 三上が住んでいる街をブラブラしてみるのもいいかな、と思ったのだ。

(やめときゃよかったのにサ……)

 藤代は今またあの日と同じ道程を辿りながら、自嘲の笑みを浮かべる。
 今日は二度目の訪問だった。



 藤代の卒業後、大学にも慣れた三上にも余裕が出てきたのか、何かと理由をつけて連れ出そうとする藤代の誘いに三上もつきあってくれることが多くなった。
 月曜日の午後、三上の授業と練習が終わる時間に合わせて、オフの藤代が三上の住む街までやってくる。
 ただ会って、たわいもない会話を交わし、映画を観たり、買い物したりするだけ。
 だが、ここまでこぎつけたのだって最近やっとなのだ。
 同じカテゴラリに属していた時とは違う。気を抜けば切れてしまいそうな糸をなんとか繋ぎとめて、三上にとっての自分の位置をアピールし続ける必要があった。
 正直な話、少しそんな日々に疲れ始めていたんだと思う。


 初めて訪ねた先で、チャイムを押す前に聞こえてきた声は渋沢と三上のもので。
 思わず回したドアノブには鍵がかかっていなくて。
 藤代はその光景を目の当たりにしてしまった。

『渋沢ーッ! 俺のシャツは? あの黒いヤツ。こないだクリーニング出して』
『おととい引き取りに行ってクローゼットの右にかけてあるよ』
『サンキュ。あと』
『靴ならもう磨いて玄関に並べてあるよ。そんなに慌てるな』

 それこそ取り立てて、どうこう言うような会話ではない。
 でもその短いやりとりと言葉を交わす表情の中に、二人の親密さが凝縮されて表現されているようだった。
 玄関口で呆然と立ちすくむ藤代の存在にすぐに三上は気づいた。

『な……藤代……ッ! なんでココまで来てんだよッ。待ち合わせ場所は駅だろッ』
『――来ちゃいけないんスか?』
『もういい。先出とけよ。すぐ行く』

 藤代の姿をみとめた三上は、一瞬驚いた顔をしたあと、すぐに不機嫌そうな顔になった。
 それまで浮かべていた表情が嘘みたいに一変するのを、藤代は黙って見つめているしかなかったのだ。

(あんなの見せられちゃうとなァ……)

 歩いてゆく道すがら、何度目かになる溜息を落とす。
 こんなのは自分らしくないと思いながら、でも勝手に洩れてしまうそれを、藤代は止めることができなかった。



□□□



 今度はちゃんとチャイムを鳴らして、ドアの前で待つ。
 三上がいればまたきっと怒られるだろうとは思ったが、もうここまで来れば逆に怖いものはないという気持ちだった。
 しばらくして、出てきたのは渋沢ひとり。
「どうしたんだ、また急に?」
 そんな言葉とともに、やはり前回と変わらぬ笑顔で渋沢は藤代を迎え入れてくれた。


「三上も毎回、藤代を待たせるなんてひどいな」
 苦笑しながら、渋沢がコーヒーを入れてくれる。
 インスタントではない豆から挽いたもので、たぶんこれもコーヒー好きな三上のために常備してあるんだな、と藤代は思う。
 きちんとソーサーまでつけて出されたコーヒーを一口啜ったあと、藤代はふと手にしたカップに気づく。シンプルだが量販品という感じではなく、趣味のいいそれに藤代は思わず口にしていた。
「へェ、オシャレですね」
「あ、やっぱり藤代にはわかるか。ソレ、三上が買ってきたんだよ。ずいぶん苦労して探してきたらしいから、藤代にそう言ってもらえると三上も喜ぶだろうな、きっと。俺はそういうのに疎いからな」
 そう言って苦笑してみせる渋沢に、藤代はまた複雑な気持ちになった。
 ここでの生活のため、こだわりを持って雑貨を選んでくる三上。
「楽しいんでしょうね」
「何が」
「渋沢さんとの二人暮らし」
 同じように藤代の正面に座ってコーヒーを啜っていた渋沢が、少しだけ目を丸くする。
 藤代はかまわずに続けた。
「こないだ……ここに来た時も思ったけど……。三上先輩、すごく幸せそうな顔してましたよ」
 藤代は言って――自嘲気味な笑みを浮かべてみせる。

(オレには、あんな顔させることできない)

「こないだ……?」
 首を傾げた渋沢が、わずかな間を置いたのち、プッと吹き出した。
 そのまま、顔を俯けてクスクスと笑う。
 どうしたんだろう、と藤代が渋沢を見やると、笑いを堪えつつ渋沢が言った。
「いつもお前と会う前はああだよ。三上はスグ顔に出るからな」
「え……」
 今度は藤代が首を傾げる番だった。
「それって……」
 言われた言葉の意味を理解した途端、頬が熱くなるのがわかった。
「じゃあ、オレ見て不機嫌になったのは……」
「あんなトコ見られて、たぶんバツが悪かったんだろ。ちなみにあの日着ていった黒いシャツは、三上のいちばんのお気に入りだよ」
「お、『お気に入り』ですか……」
 なんというか、渋沢にかかると、あの三上もまるで子供のように語られてしまう。
「大学から携帯に連絡を入れたのは本当だろう。ただ、あいつはいつもお前に会う前は一度着替えに戻ってくるから」
 そこでちらりと渋沢が壁にかけられた時計を見やる。
「今日も、もうすぐ戻ってくるよ」
「でもいっつも大学からそのまま……」
「来てるわりには、大きなスポーツバッグなんか持ってないだろ?」
 そういえばそうだ。
 サッカー部での練習を終えてきたはずなのに、待ち合わせ場所に三上が着替えやスパイクを手にして現れたことは一度もなかった。
 藤代はたいして気にもとめず、適当に駅のロッカーにでも放りこんであるんだろうと思っていたのだが。
「でもそれって、別にオレのためにってワケじゃなくて、ただ出かけるからなんじゃ……」
 それに普段着を見せてくれないというのは、それだけ心を許してないということにも繋がる。
 思わず俯いてしまった藤代に、渋沢が笑った。
「藤代としたことが、自信のないことだな」
「そうは言いますけどね……」
 サッカーに関しては今も昔も変わらない。
 むしろプロの世界に入り揉まれる日々の中で、自分を支える大切なものとして自信だけは以前より強固なものになっていた。
 だがその一方で、三上に関する、あの学生時代の頃のような根拠のない自信は日に日に萎れてゆくばかりだ。
 大人になるにつれ、三上がどんどん遠い存在になってしまうような気がして、不安ばかりが募って。
「三上先輩がどんなつもりかだなんてわかりませんよ……」
 そう弱気に言葉を漏らす藤代を見て、さらりと渋沢が言った。
「三上はお前のことが好きだよ。たぶん誰よりもね」
 本人にはもちろん、いまだかつて誰にも言われたことのないことを、面と向かって言われると、さすがに藤代も居心地の悪さを隠せない。
「からかわないでください、渋沢さん」
「からかってなんかいないさ。本当だよ」
 口許には微笑を浮かべたまま、だが渋沢の瞳はあくまで真剣だった。
 渋沢が人を喜ばせるための嘘などつかないことは、藤代もよく知っている。
 それでも、そのまま渋沢の言葉を鵜呑みにすることもできなくて、藤代はただ困惑した表情を浮かべる。
「なんなら藤代。そこに隠れて見てみるか」
 渋沢が楽しげに藤代の背後のクローゼットを指差した。



□□□



「ただいまー」
 玄関から三上の声がして、藤代は「あ、靴!」と思ったが、それも用意周到な渋沢によってすでに隠されていたようだ。
 クローゼットの中には物があまり入っていなくて、よって長身の藤代が潜むスペースもあったのだが、それでもやはり狭いものは狭い。
 自分が閉所恐怖症でなくてよかった、などと妙なことに藤代が安心しているうちに、何も気づいていないようすの三上が部屋に入ってきた。
「お疲れさま。コーヒー飲むか?」
「ん、いーや。すぐ出かけっから」
 どさりとバッグを床に置いて、三上が着ている服を脱ぎ始める。
 渋沢の言ったとおり、本当に三上はこれから出かけるためだけに服を着替えるらしかった。
 一瞬、藤代はここを開けられてしまうのではないかと危惧したが、その心配は必要ないようだった。
 クローゼットとは別の衣料ケースから服を取り出す三上に、渋沢が声をかける。
「シャツならそこにアイロンしてかけてあるよ」
「ああ、サンキュ」
 やはり何度、目にしても、渋沢と三上の関係は学生時代とさほど変わっていない。むしろ以前より二人の距離はますます近くなった感がある。
 面倒見のよい渋沢に、三上がすっかり気を許して任せきりの状態。
 決して他者が入りこめない関係――
 
「今日はどこ行くんだ?」
「なんか映画だってさ。チケット貰ったとかで」
 シャツのボタンをとめながら、三上がボソボソと答える。
 いかにも面倒そうで、お世辞にだって楽しみにしているようには見えない。
 これで渋沢の言葉を信じろという方が無理だ。

(やっぱ、ダメなのかなァ……オレじゃ……)

 藤代が内心で深い溜息をついていると。
「夕飯、どうする?」
「あ、ワリイ。たぶん外で食う」
 三上の台詞に藤代は思わず目を見張る。
 いつも自分が強引に誘わなければ、三上はさっさと帰ってしまいそうな勢いなのに。
 この前だって「家で渋沢が待ってるから」という三上に自分がゴネてゴネて、ようやく引き止めたのだ。
「もう、お前が藤代と出かける日は夕食用意しておかなくてもいいかな」
「そだな。アイツも毎回、寮のメシ断ってきてるみたいだし」

(オレの言ったこと、ちゃんと覚えてくれてたんだ……)

 藤代が口にしたときは、聞いているかどうかもあやしい素振りだったのに。
 いつも自分ばかりが三上に話しかけて、それを三上がうるさそうに聞く。きっと話の半分も三上の中には残っちゃいないと藤代は諦めていたのだが。
 しかし次に三上が口にした言葉に藤代はもっと驚かされる。
「誘われなかったら、それはそれで。何か買って帰るから」
「誘われないなんてこと、ないんじゃないのか?」
「そんなの、わかんねえよ」
 そう三上が苦笑してみせるのを、藤代は信じられない気持ちで見ていた。
 この自分が三上を誘わないわけなどあろうはずがない。
 それなのに、三上は言うのだ。
「アイツにだって、いろいろ都合あんだろしさ。そのうち俺とメシ食うのにも飽きるかもだし」
 少し寂しげにも見える顔で、小さく笑って。
 飽きるワケないじゃないッスか!――そう叫んで飛び出したくなるのを藤代はぐっと堪える。
「ずいぶん自信がないんだな」
 渋沢がさっき藤代にも言ったのと同じ台詞を、三上に向かって口にした。
 そんなことを言われれば怒り出すのではないかと思った三上は、だが藤代の予想に反し、渋沢に力なく笑ってみせた。
「あー、アイツのことに関してはな。自分でも情けねえと思うんだけど」
「みんな、そんなモンなんじゃないか」
 優しく笑う渋沢に、三上がバツ悪そうに舌打ちする。
「オメーはいつも自信ありげだよな」
「そんなことないさ」
 三上に睨まれても、渋沢は変わらず微笑みを浮かべたままだ。
 そんな渋沢の態度に毒気を抜かれたのか、三上が少し目を伏せて。
「でも実際、不安になるよ」
 前髪をかきあげ、自嘲めいた笑みをその唇に浮かべてみせる。
「もうアイツもお前と同じプロだしさ。なんかどんどん遠くなってくみてえで……。もういつまでも後輩じゃねえよなァとか」
「それで今でも藤代にだけは名前で呼ばせずに先輩と呼ばせてるのか」
「なッ……!」
 あからさまにうろたえた顔になる三上。
 藤代はそういえば、と思い出す。
 三年生が卒業した時、いつまでも『渋沢キャプテン』と呼ぶのはおかしいだろうと言われて呼び方を『渋沢さん』に変えたことがあった。
 それに合わせて三上のことも何気なく『三上さん』と呼んでみたのだが、生意気だと言われ、三上には却下されたのだ。
 以来、藤代の中で渋沢は『渋沢さん』、三上は『三上先輩』と呼ぶのが定着していた。
 別に呼び名なんて何でもいいやと藤代はさほど頓着していなかったのだが。
 ニコニコ笑う渋沢に、しばし黙り込んでいた三上だったが、苦々しい表情で素直にそれを認めた。
「……そうだよ。だからお前はヤなんだよ。『なんでもお見通しです』ってな顔しやがって」
「ハタにいる者ほど、いろんなことがよく見えるんだよ」
「なんだよソレ……」
「いや、こっちのこと」
 そらとぼける渋沢を胡散臭げに眺める三上だったが、渋沢に促されて部屋を出てゆく。
「んじゃ、行ってくる」
「気をつけてな」
「ハイハイ」
 玄関先でのそんなやり取りが聞こえたかと思うとドアが閉まる音がして、部屋はまた元のように静まり返った。



□□□



「――と、まあ、いつもこんなカンジだ」
 クローゼットの扉を開けて、藤代を見下ろし、渋沢は言った。
「キャプテン……」
 懐かしい呼び名で呼ばれて、渋沢が微笑む。
「昔から三上が素直じゃないのは、お前もよく知ってるだろう?」
 藤代はその場に立ちつくし、ほんの少し視線を俯ける。
「離れていて不安なのはわかるが、それは三上もいっしょだよ」
「………」
 渋沢の言葉は、藤代の胸に染みわたるように響いた。
 そう――ゼンゼン素直じゃないあの人を好きになったのは自分。
 素っ気ないところ、本音が見えにくいところ、丸ごとひっくるめて好きになったのだ。


 いつまでも追い続けてゆくことになるかもしれない。
 もしかしたら一生、目の前のこの人にはかなわないかもしれない。
 だけど、その焦燥と不安すら甘い感懐でもって受け入れてきたのは自分ではなかったか。





 思い出す。
 初めて口づけたときのあの感覚。
 緊張のあまり震えた手、近くなる睫毛、かかる吐息、触れた唇の柔らかさ。










 毎日が天国だった。
 好きな人のことを考え、好きな人のことを思いながらボールを蹴った。
 それは今も――変わらない。










「渋沢さん、オレ……」
 何か言いかけた藤代を渋沢が制して言った。
「ホラ。はやく待ち合わせ場所に戻らないといけないんじゃないのか?」
 渋沢の言葉に藤代ははっとする。
 慌てて玄関先まで飛んでいって、渋沢が出してくれた自分のスニーカーを履いた。
 靴紐を結ぶ藤代の背に、渋沢が声をかける。
「ひとり待たせて、アイツを不安にさせないでやってくれよ?」
「渋沢さん、やっぱり今でも三上先輩に甘いですね」
 立ち上がり振り向きざま、からかいを含ませた笑みでもって藤代は言う。
 対する渋沢がそれを上回る余裕とともに笑って答えた。


「毎日のように、お前に対するグチとノロケを聞かされればね。はやく気づいて安心して欲しいと思うんだよ」



 かつての守護神はそんな言葉で、滅多なことでは動じない元エースストライカーを完全に赤面させた。






















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1110hitのふみさんのリクで『藤三で。藤三なんですけど三上さんは渋沢さんと一緒に暮らしてます設定のお話』でした。