三人三様 ---------------------------------- 「今、渋沢キャプテン呼びましたから」 もうすぐ来ますよ。 乾いた藤代の声がする。 「オレにやさしくされるのはイヤなんでしょ?」 サバサバした口調でそう言って、小さく溜め息。 「でもね、こんなんなってるアンタを見て、やさしくせずにいられるほど、オレ人間できてないんですよ」 藤代の日本語はわかりにくくて、痛みと熱にうかされる三上の頭では理解するのに時間を要した。 そのうちに藤代はさっさと背を向けて部屋を出て行こうとする。 「ふじ……」 ヒリヒリと痛む喉から搾り出すようにして声を出す。 掠れたその声は自分でも情けなくなるくらい弱々しくて。 振り返った藤代は本気で嫌がるような顔をしていた。 「だーかーらー。そんな声で呼ばないでくださいよ。そんな目で見るのもやめてください」 「………」 どんな目をしてたのか、自分ではわからない。 ただ三上を見つめる藤代が何かに気づいたようにハッとしたような顔をしたあと、急にきびすを返してまたこちらに戻ってきた。 三上の視線はそのまま藤代を追う。 少し上目遣いになってしまう位置に藤代が足を止めて立ち。 「――不安なの?」 藤代が言った。 少し首を傾げて、戸惑ったように三上の顔を覗き込んでくる、黒い大きな瞳。 武蔵森に、寮に入ってからこんな大きな病気はしたことない。 続く痛み。 ずっとこのままだったら。このままサッカーできなくなったら。 募る、不安。 ――ああ、そうか。俺は不安なんだ。 そう三上が自覚したタイミングで藤代が言った。 「ちゃんと治るよ?」 涙が溢れて一筋こぼれた。 こめかみを伝うソレに藤代が小さく笑う。 今まで見たことないくらい、やさしい大人びた瞳。 「ダイジョウブ」 藤代の唇がそんな言葉を紡ぐのを、三上はじっと見つめていた。 「心配しないで」 なんで泣いてしまったのかわからない。 涙は一筋こぼれただけで、すぐに止まった。 三上は目を伏せた。 「キャプテン遅い!」 「すまない、ちょっと寮母さんにつかまっていてな」 「オレ七時から見たいテレビあったのにィ」 「まあまあ、そう言うな。今度なにか奢るよ」 遠くのほうでするざわめきのように、その会話は三上の耳に聞こえた。 枕元の温かい気配が退き、またそこに違う匂いのする暖かい存在が来たのがわかる。 三上はゆっくりと目を開けた。 薄茶の髪と、広い背中が視界に映る。 「三上についていてくれてありがとな」 そんな柔らかな声がして。 応えるように、藤代がヒラヒラ手を振りながら部屋を出てゆくのが横たわった三上にも見えた。 「起こしたか」 「お前……わざと遅れてきただろ」 渋沢がゆったりと笑いながら三上の額の汗を拭く。 「部屋の前で忘れ物に気づいたんだよ」 「なんだよソレ……」 渋沢の笑みに、三上はうんざりとした表情で口にする。 「喉。痛むんだろう?もう喋るな」 ずれた布団をかけなおし、その上をポンポンと叩く。まるきり子ども扱いだ。腹は立ったが、心地いいのも否定できなかったので三上は大人しくされるがままになっている。渋沢がまた笑った。 「少し元気になったかな?」 「………」 「お前のことじゃないよ?」 「……知ってる」 武蔵森のキャプテンは、本当によく気のつく男なのだ。 三上が寝返りを打って渋沢から顔を背けると、もう渋沢は何も言わなかった。 □□□ 見舞いなんてやめときゃよかった。 部屋に入った途端、藤代はすぐにそう後悔した。 病人は色っぽい、なんて安易な考えだったと思う。 三上の具合は本当に悪そうで、ぐったりとベットに身を沈めている姿は色っぽいというより痛々しい。 ああ、やっぱりオレは口悪くて態度デカイ先輩が好きなワケかー。 妙に納得しつつ、部屋を立ち去ろうとした藤代は気配で三上が目を覚ましてしまったことを知る。 思わず舌打ちしそうになるのを、すんでのところで堪えた。 自分自身への苛立ちを、三上に対するものとは誤解されたくはなかったのだ、さすがに。 珍しいものを見るかのように、横たわったままの姿勢で三上は藤代をじっと見つめる。 三上は何も言わなかった。 何も言えなかったというべきか。 得意の毒舌はもちろん負け惜しみすら目の前の病人からは出てこない、藤代の苛立ちはますますつのる。 「ナニ?どうしたの、気分悪いんデスカ?」 「………」 「ちょっと待ってて」 ポケットから折り畳み式の携帯を取り出して開く。 寮内で渋沢が携帯を持ち歩いているか疑問だったが、果たして渋沢はワンコールで出た。 たぶんベッドの中から三上が連絡してきてもすぐに対応できるようにだろう。 三上の枕元には電源を切られた携帯が置いてある。 渋沢に抜かりはない。 「あ、キャプテン今どこにいるんスか?」 「うん。なんか具合悪そうなんスよ。うん…、うん…、や、そういうんじゃないみたいですけど…」 「はい。じゃあ」 携帯を閉じて、相変わらずこちらを見つめている三上に向かって言った。 「今、渋沢キャプテン呼びましたから。もうすぐ来ますよ」 三上の返事はやっぱりない。 「オレにやさしくされるのはイヤなんでしょ?」 病人に対する口調ではないな、と思った。早口でまくしたてるようなソレを三上は聞き取れたのかどうか。 「でもね、こんなんなってるアンタを見て、やさしくせずにいられるほど、オレ人間できてないんですよ」 黙っている人間の前では、余計なことを言ってしまう。 いたたまれなくなって藤代は背を向け逃げ出そうとした。 その時だった。 「ふじ……」 なんでこのタイミングで呼ぶかな。 それまで黙っていた三上が初めて口を開いた。 背中でした声に藤代は顔を歪め、振り向いた。 「だーかーらー。そんな声で呼ばないでくださいよ。そんな目で見るのもやめてください」 そんな、 そんな小さな子どもみたいに素直な目をして。 三上という人間の、本質がそのまま何も隠されずにそこにあるようだった。 「――不安なの?」 おそるおそる口にした言葉に、三上の瞳の色が揺れた。 黒い瞳がみるまに水分を帯びてきて、藤代の動きを止める。 オイオイオイ。 藤代は頭を抱えそうになった。 目の前にいるのはオレだよ? 渋沢キャプテンじゃなくて藤代誠二。 先輩がゼッタイ弱み見せたくないと思ってる『ナマイキな』後輩だよ? わかってんのかな、コノヒト。 涙がこぼれたことを三上はちゃんと知覚してないようにもみえた。 なんて無防備な、その顔。 そんなのは渋沢キャプテンの前だけにしといてくださいよ。 苦笑しそうになる。 でも不安な三上の心を愛しいとも思った。慰めて安心させてやりたいとも。 それは自分に望まれた役割でないとわかっていても。 ちゃんと治るよ。ダイジョウブ。心配しないで。 己の語彙の貧困さを呪いながら藤代がたどたどしく口にした言葉に、三上の瞳がすうっと閉じられる。 こんなのは。 藤代は小さく息を吐いて目をすがめた。 こんなのは、本当にカンベンしてください、先輩。 オレまだどうしようもないガキなんスから。 枕元で、藤代は自分の身体を持て余すようにして座っていた。 天井を見る。床を見る。渋沢と三上の片付けられた机の上を見る。知らない参考書が並ぶ本棚を見る。壁にかけられた制服を見る。それから。ベッドの上の三上を。 三上が寝入っているのを確認して、ゆっくりと自分のつま先に視線を戻す。 「もーオレ、こういうのニガテ……」 ぼやくように口にして、藤代はガリガリと頭をかく。 それでも耳に聞こえる三上の寝息に、 「はやく治りますように」 らしくもない小さな祈りを呟いた。 □□□ 藤代も三上にそっくりだ。 素直じゃない。 三上と違うのは、完璧な演技でそれを隠してしまえること。 それは人として何か欠落してるのではないかと思わせるほど隙なく。 誰より素直でいるように見せて、妙な屈折を抱えた後輩を渋沢は時に不安に思う。 不安に、させられる。 「不安なの?」 ドアの向こうからした声は、言った本人の方がよっぽど不安そうな声音を秘めていて。 渋沢は思わず立ち止まった。 「ちゃんと治るよ?」 渋沢は目を伏せて、聞き入る。 三上、今お前はどんな顔をしている? そして藤代は? 「ダイジョウブ。心配しないで」 まるで自分に語りかけるよう、藤代が口にするのが聞こえた。 三上だけが唯一、藤代の心を平静にさせないのだ。 渋沢はそっとその場を立ち去った。 「キャプテン遅い!」 ことさら不服そうに藤代が渋沢を見上げてくる。 「すまない、ちょっと寮母さんにつかまっていてな」 「オレ七時から見たいテレビあったのにィ」 よく言うよ、と渋沢は思ったが、ここはもちろん調子を合わせておいてやる。 「まあまあ、そう言うな。今度なにか奢るよ」 「頼みますよお?」 藤代が立ち上がって、三上のそばから離れる。 この騒がしい後輩が、じっと黙ってベッドの横に大人しく座り込んでいる図はなかなかに印象深かった。 神妙な顔をして、何かに耐えるように、何かを守るように。 もっとも、そんな表情を見られたのは一瞬だけだが。 「三上についていてくれてありがとな」 余計な一言かとも思ったが、渋沢のそれを藤代はさらりと流して部屋を出ていった。 「少し元気になったかな?」 そう口にすると、三上が訝しげに眉を顰めた。渋沢の口調から自分のことを指しているのではないと気づいたみたいだった。 「お前のことじゃないよ」 「……知ってる」 不機嫌に答える三上が、おかしかった。 早く治せよ。 もう声には出さず、渋沢は心の中で思った。 早く治せよ、三上。 お前自身と素直じゃない後輩と、それに同室の俺のためにも。 不安な、三人のために。 |
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