涙のわけ。 ---------------------------------- 長い笛の音が響き渡る。 幾人かがピッチに座り込み、倒れ伏すさまが目に入る。 と同時にベンチサイドにいた俺はあの人の姿を探していた。 逆光に縁取りされたシルエットはその場に崩れ落ちることなく、けれどけして近寄れないような厳しさで、あの人はそこに立っていた。 一回戦敗退。 今大会屈指の名カードと言われたこの試合、対戦相手の強豪校の名を目にしたときから、それは予想できない結末ではなかった。 渋沢キャプテンがまだ立ち上がれないチームメイトのひとりひとりに声をかけてゆく。 最後に渋沢キャプテンが突っ立ったままのあの人の――三上先輩の肩に手をやったとき、俺は瞬間的に先輩が泣き出すのではないかと思った。 けれど現実には、一度先輩は俯いただけですぐに顔を上げると、整列のために渋沢キャプテンと並んでこちらへ歩いてきた。 やるせなさそうな顔をしていたのは渋沢キャプテンの方だ。先輩は泣いていなかった。 「笠井」 初めて聞く、やさしげな声。 黒い前髪の間からのぞく瞳が、こんなにも大人っぽいと思えたのは今までになく。 泣いていたのは――俺のほうだった。 三上先輩の夏が終わった。 □□□ コーチとの打ち合わせを終えて、日誌書きと最終的な戸締りをするために部室に戻ってきた俺を迎えたのは、制服姿の三上先輩だった。 パイプ椅子に腰掛けて、組んだ長い脚を持て余し気味に机の上にドカリとのせている。 相変わらずの行儀の悪さ。 でも、そういうのがサマになるのが三上先輩だった。 「どうしたんですか、こんなところで」 確か三年生は卒業式のリハーサル中だったはずだ。 本来なら在校生代表として二年生も参加するのだが、サッカー部に限っては春季大会を控えているということで、例によってお役目免除になっていた。 三上先輩は黙ったまま、ニヤニヤ笑っている。 俺はワザとらしく大きな溜息をついてみせた。 「最後くらい、ちゃんとやってくださいよ」 「まだ『最後』じゃねえモン」 「渋沢先輩の目が届かないと、すぐにそれなんだから……」 卒業生代表として答辞役を仰せつかった渋沢先輩は、それ以外にも頼まれ事を多く引き受けているみたいで、三上先輩の挙動にまでは手が回らないらしい。 「ついでにオマエの目も届かねえしな。――忙しいみたいじゃん」 「忙しいですよ」 俺は答えながら日誌を取り出す。今日中に書き終えて、またコーチのところへ持っていかなくてはならないのだ。 「三上先輩、脚のけてください。日誌書きますから」 「ああワリィ」 そう言って素直に三上先輩が脚を下ろす。 俺は三上先輩と向かい合う形で座り、空いたそこに日誌を広げて、本日の報告を書きこんでいった。 そんな俺の手許を三上先輩はじっと眺めている。 少し肌の色が白くなったかもしれない。 俺はこちらを見つめてくる先輩の首筋を盗み見て思った。 部活は引退したといっても、それは中等部での活動のことで、サッカーは今までと変わりなく、高等部との合同練習などにも参加しているはずなのだが。 長い冬がそうさせたのかもしれない。 元々、三上先輩はどちらかというと色白なほうだ。 カリカリとペンを走らせる音だけが響く。 一段落ついて、俺が顔を上げると、三上先輩は小さな笑みを浮かべてこちらを見ていた。 ときどき先輩は、こちらがびっくりしてしまうような優しげな表情をすることがある。 「タイヘンだな、キャプテンさんは」 そう言った三上先輩の口調はスムーズだった。 きっと渋沢先輩にもいつもこんなふうに言葉をかけていたんだろう。 我関せずといった顔をしながら、最後まで部室に残って渋沢先輩につきあっていた姿を俺は思い出す。 そういう人なのだ、この人は。 「先代が偉大すぎますからね。苦労しますよ」 「そういう心にもねーこと、いけしゃあしゃあと言えるから渋沢もソレ見抜いて、お前をキャプテンなんかに指名するんだろ」 「心にもないとは心外な」 俺の言葉に三上先輩が笑う。 笑いながら首に締めたネクタイを弛める。三上先輩がよくやる癖だった。 身体に馴染んだ制服、一年分、俺の着ているそれよりくたびれている。 この先輩の制服姿もあと数日で見納めだ。 「さっさと終らせろよ? まだあるんだろ」 やはりキャプテンの業務に詳しい三上先輩がそう言って、俺は頷き、日誌のページをめくる。あと、このページを書き終えればオシマイだ。 一方の三上先輩はくつろいだようすで、誰かが残していったサッカー雑誌を手に取り、中を斜め読みしている。 机に肘をついて、音をさせながらページを繰っていた先輩がふと口を開いた。 「なんで泣いたの」 目線は雑誌に預けたまま。 ページをめくる手を止めもせず。 ずいぶん前のことを今になって、と俺は苦笑を隠せない。 三上先輩の横顔は変わりなく、でもその頬に少しの緊張が見てとれた。 『試合に負けて悔しかったからですよ』 そんな言葉でこの人が満足するわけはない。けれど。 『もうこれで先輩とサッカーできないと思ったからですよ』 藤代ならともかく、俺が言うにふさわしい台詞ではないのだ、ソレは。 「目にゴミが入ったから」 俺の言葉に先輩はプッと吹き出した。 「なんだそりゃ」 口調はいつもどおり呆れ返ったもので―― でも、こちらを見返した先輩の顔には、泣くのをこらえるみたいな、歪んだ笑みが浮かんでいた。 「勝てなくてゴメン」 試合中の負傷は自分の責任です。 第一、そんな台詞、あなたともあろう人が。やめてください。気持ちワルイ。 「高等部に上がってもサッカーやるだろ?」 もちろんですよ、そんなこと。 だから、そんな不安そうな目、しないで。 伸びてきた手を掴み取る。 引き寄せる。 机に上体を乗り上げて、広げられた日誌とサッカー雑誌のちょうど真上でキスをかわした。 本当は答え、知ってるくせに。 先輩があんまり綺麗だったから。 あんまり綺麗すぎて泣けてしまったんですよ。 |
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