シーズンオフ
----------------------------------










 シーズン中は気が張っているため、さほどの変調は見せないが、オフに入った途端、水野はいつも大なり小なり調子を崩した。それは身体よりも精神面で顕著にあらわれ、普段いかに水野が無理をしているかを三上に痛感させた。
 水野はメンタルが弱い。それはプロとしては致命的なくらいに。
 だが彼はそれを隠せるだけの強さもまた同時に持っていた。
 コミュニケーションする努力、周囲の雑音を聞き流すタフさ、ファンに奉仕するサービス精神。
 どれもこれも彼の不得手とする領域だが、すべてはサッカーに対する真摯さで、彼はそれらを懸命にこなす。


 ひとつのシーズンが終了して、それまで抑えていたものが堰を切ったように噴出すると、決まって三上はひどく抱かれた。すべての苛立ちを三上にぶつけてくる水野は自分でも制御できない何かに突き動かされているようだ。
 殊に一年前の夏はひどかった。
 ファーストステージでの水野の所属クラブの戦績は前例をみないほど悪く、水野は戦犯としてずいぶん叩かれた。マスコミからもファンからも。
 三上に言わせれば、確かに水野の調子もベストパフォーマンスとは言い難かったが、それよりそのシーズンをもって解任になった監督の戦術に負うところが大きい。そこそこサッカーを観る者なら、だいたいがそういう論調に落ち着いていた。
 たが水野は中盤が機能しなかったことを自身の責任と認め、自らを厳しく追い込んだ。
 そういう行為こそがチームプレーで成り立つスポーツにおいては不遜としか三上には思えないのだが、けれど言って素直にそれを聞き入れる彼でもなく。



 その夏の水野のストレスはピークに達していた。
 精神状態が不安定になると、彼は三上の行動すべてを疑った。
 携帯電話はもちろん取り上げられ、自宅の電話のコードも引き抜かれる。
 本当はそんなことありえないと頭では理解しているだろうに、信じられないような疑心暗鬼に彼は陥る。
 試すような発言の繰り返しと幼稚な論理に、こと水野に関しては我慢強い三上もさすがに切れて、口論になったのをきっかけにそれは始まった。
 隔絶された部屋の中で終わらない行為を強要された。抱かれて、眠って、申し訳程度の食事をとらされ、シャワーを浴びれば、また寝室へ連れ込まれて。その間の水野の言動はずっと、三上を苛み、蔑み、苦痛を強くものだった。
 繋がらない電話を心配して、名古屋の渋沢が佐藤に連絡を取り、彼が直接ここにやってくるまで三上はほぼ軟禁状態にあった。同じくオフ中だった佐藤は息せき切らして部屋に乗り込んできて、間髪入れずに水野を殴りつけた――。



 そこまでひどかったのはあの夏に限られるが、それでも水野が不安定になると、それはそのまま三上へとぶつけられる。散らばったいくつもの不安がいちばん強いところへ集積してゆくのだ。水野にとっては三上の心が何より信じられないものなのだろうと、三上はわかっていた。
 もともとそんな甘い睦言などかわすような間柄ではない。
 一度、歯車が狂うとどこまでも狂ってしまう。



 水野は脆い。本当はプロになど向いていないのかもしれない。
 それでも、ひとたび彼がフィールドに立てば、そのプレイは客席テレビの前問わず、多くの人間を魅了し、夢中にさせた。
 豊かな才能に課せられる過剰な期待、華々しいプレイスタイルは賛否両論を呼び、持ち上げられては落とされ、その端整な顔立ちも話題を呼んで、望んでもいないのにいつも彼は無神経な好意と悪意の渦中にさらされた。
 そして生真面目な彼はまともにそれらと向き合った。
 一見クールな表情の下で、彼は不器用に傷ついてゆく。
 水野がそれらに翻弄され苦しむようすは、はたで見ている三上の目にもひどく痛ましく映った。





 いつだったか水野は言った。
 例によって、三上の意思などまるで無視した乱暴な行為の後にだ。
 ぐしゃぐしゃになったシーツの上に横たわった三上を見下ろして、ベッドの横に立ったまま。
「頼むから……」
 その両の掌で顔を覆って。
「もうはやく俺を捨ててくれ……」
 そう漏らして泣き出した水野を、三上は倒れ伏したままの姿勢で、じっと見つめていた。
「俺はそのうちお前を死なせてしまうかもしれない」
「………」
 殺してしまうではなく死なせてしまう。
 彼らしい甘さが見える言葉だった。


 違うだろ、水野。
 お前は激情のままに俺を殺してしまいそうなことに怯えているんだろ?
 殺せばいい。
 それで一生自己を苛んで生きていけばいい。


 残酷な気持ちが心をよぎる。
 自分と寝ることで、この行為を繰り返すことで、彼の柔らかな精神はもうさんざんに傷ついている。
 それでもなお。
 彼の中に自分の影を宿しておきたい。
 己の強欲さに三上は眩暈を覚える。


「……水野」
 掠れた声で名を呼ぶ。
 わずかに動いただけで身体中が軋むようだった。


「捨ててなんかやんねーよ」


 それで、それだけの言葉で、泣き顔の中、安堵したような表情を見せる子ども。三上は苦笑した。なんて無防備。なんて愚か。
 ゆっくりと腕を伸ばす。呼び寄せるとあっさり彼はその手に掴まった。
 そんなところがたまらなくいとおしい。
「もう泣くな。少し休もう」
 息をひとつ吐き出して、大人の発言をした。














back