※「朔」の番外編(後日談)となります。




 吹雪とともに彼らは消えた。後に残ったのは彼らが身につけていた衣服だけだ。それらもすぐに強い風に巻かれて飛び去ってしまったという。
「瞬く間の出来事にございました」
 いつもならば理路整然と話す己が腹心もさすがに戸惑いを隠し切れぬようだった。不可思議の類を見慣れていそうな忍び二人も狐につままれたようすである。
「参ったね、どうも」
 頭に手をやる猿飛の横で金髪のくのいちが盛大に眉を顰めている。これまでの経緯を伝聞でしか知らされていない彼女が事態を飲み込めないのは当然だ。
「……いったい、なんなのだ、今のは」
「俺様に聞かないでくれる?」
 従者たちのようすがおかしいことに気づき、剣戟の手を止めた伊達と真田だったが、報告を聞いて互いの顔を見合わせた。
「賞品が消えちゃ話になんねえな」
 チンと金属音を鳴らし、伊達は六爪を鞘へと納める。真田も頷いて槍を下ろした。
「二人同時に消えた、か」
「無事、元の世界に戻りおおせたのでござろうか」
「さあな。そればっかりは知る術がねえからな」
 伊達は軽く嘆息する。真田はなにやら黙考しているようすだった。
「――元凶が消えたのであれば、私は帰るぞ」
「あれ、もう帰っちゃうの、かすが。ゆっくりしてけばいいのに」
「うるさい。これ以上の無駄足を踏んでいる場合ではないからな」
「すまん。足労をかけた」
「もうよい。厄介ごとを引き受けずに済んだことでよしとしてやる」
 猿飛の軽口めいた台詞には顔を顰めてみせたくのいちだが、片倉の言葉に対しては語調もさほど強くない。
「前田にもよろしく伝えてくれ」
「了解した」
 黒衣が雪中に消えるのを見届けると、後に残された主従で向き合う形となった。さてどうしたものかと、伊達は首裏に手をやる。そこへ真田が意を決したように口を開いた。
「我らがこの吹雪で動くのは危険でありましょう。ここより少し参った先に寺がございます。そこでいっとき暖を取ってはいかがでござろう」


     *


 吹雪は酷くなるばかりのようだ。吹きつける風がガタガタと板戸を揺らす。その向こうでは風音が唸るような声を上げているのが聞こえた。いかな思惑があったにせよ、待避を提案した真田のそれは英断だったといえる。
 山寺は想像していたより立派なものだった。寺の住職と真田は既知であったらしく伊達ら一行は客間に通された。閉め切っているため光源は燭台の明かりのみである。室内は薄暗い。伊達はすっかり武装を解いてくつろいだ格好でいる。片倉は次の間に控えていて室内には伊達ひとりきりだ。
 いったいいつになったら姿を見せるのかと思っていると、襖の向こうから声がかかる。入室を赦すと、真田が姿を見せた。こちらも当然ながら武装は解いている。真田は膳を携えてきていた。
「寺の者に酒をいただいて参りました。これで少しは身体が暖まりましょう」
 真田にしては随分と気が利いている。肴に焼いた味噌まで添えられていた。上出来だ。
 伊達は酌を受けながら、久々に兜を脱いで相対する男の顔を見た。少し見ないうちに面変わりしたようだ。頬の線が鋭くなっており、以前までの甘いばかりの雰囲気ではなくなっていた。
「アンタも飲むだろ」
 差し出された盃を真田は大人しく受け取った。そこへ伊達自ら酒を注いでやる。かたじけない、と言いながら酌を受け、酒を呷る。む、と真田が眉をわずかに寄せた。
「思うたよりも強い酒にございますな」
 同意はせずに静かに杯を重ねる。確かに強いかもしれない。伊達にはこのくらいがちょうどよいが、真田には違ったらしい。
「貴殿が平気な顔をしておられるので油断した」
 そう言うと、あとは舐めるようにしか飲まないでいる。真田は深く酔うことを恐れているようだった。そのくせ、飲まずにいるのでもない。見え透いた手口だ。だが、酒の力を借りようとしているのは何も真田だけではなかった。
「……貴殿とは異なり、あれはまったく酒を嗜みませんでな」
 まずはそこからか、と伊達は思う。あれ、と真田が呼ばわるのは吹雪の中、消えてしまった二人のうちの片割れのことだ。
「こっちもだ。飲めるくせに飲んではならぬのだと言い張って手をつけないでいた。あちらの世界ではあの歳で酒を飲むのは禁じられてるらしいな」
 負けじと伊達も言ってやる。真田は少し身体を揺らしたが、平気そうな面を取り繕って頷く。
「左様でありましたか。あれはそのような話はしておりませんでしたが、きっとそれもあって飲まずにおったのでしょうな」
「よく栄えた豊かな世界みてえだが、いろいろとうるせえ決まりも多そうだ」
 きっと己などには窮屈で仕方ないだろう。背負うものの少ない気楽さは羨ましくもあったが、だが、一方でそれらのしがらみをなくしてしまえば己自身ではなくなることも伊達は知っていた。
「……政宗殿はあちらの世界をよく御存知のようですな」
「あいつからいろいろ聞き出したからな。アンタはどうなんだ。話くらいはしただろう?」
「いえ……あまり……」
 真田はやけに居心地が悪そうだ。先に話を振ってきたわりには水を向けられると答えを濁す。
「話をするより身体に直接あれこれ聞くほうが主だったというわけか」
 にやりと笑んで核心をついてやる。真田はなんとも微妙な表情をしてみせた。どういう顔をすべきなのか、迷っている間に時間切れを迎えたような具合だ。
「――当てつけのつもりだったか」
 伊達はそう言って真田を見る。真田もまっすぐにこちらを見返した。
「そのつもりもあり申した。だが、某は結局のところ、欲に目が眩んだだけにございました。貴殿の形代としてあれを喰らったのでござる」
 相変わらず正直な男だ。ちりと胸のあたりがわずかに痛むような心地がした。草からの報告はすべて事実であろうと思っていたので驚きはない。だが、面と向かって本人に肯定されると、また違った感情も生まれてくる。
「……あれにはすまぬことをしたと思うておりまする」
 さて、あちらの真田は――幸村はこれをどう受け止めるだろうか。合意ではなかった上でのこととはいえ、さぞかし苦悩するであろう。いっそ、こちらはこちらで一度くらい寝ておけばよかったとさえ思えてくる。
「――ところで政宗殿」
 こちらの胸中など知らぬ真田は、別のことに忙しいようだ。窺うように伊達を見つめてくる。
「貴殿はあれを……某の所業を貴殿に対する当てつけだと感じておられたのですな」
 気づいたか、と伊達は内心で笑う。昔の真田であったなら聞き逃していてもおかしくはない。
「それは……期待してもよろしいということでありましょうか」
「言うようになったじゃねえか」
 伊達はふと笑んでみせた。
「期待していいと思うぜ?」
「――政宗殿」
 思わずといった具合に身を乗り出した真田を片手で制す。
「それでアンタはどうなんだ。俺がアンタと同じように当てつけを考えなかったと思うのか」
 真田が目を見開く。伊達は口許の笑みを深くした。そうして煽るように口にする。
「あれはアンタによく似てたぜ?」
 その瞳に焔が灯った瞬間を伊達は見た。いい眼をするものだ。これをあちらの世界の俺は見ていたというわけか。あちらにとっては災難であったかもしれないが、それでも妬けるものは妬ける。
 真田はぐうと唸った。
「……やはり貴殿は手強い。一筋縄では参りませぬな」
「馬鹿言え。こんなに手の内、明かしてやってるだろ」
「某は馬鹿でござるゆえ、己が手で確かめないことには何ひとつ確信が持てぬのでござる」
 二度目に身を乗り出してきた真田を今度は伊達も止めなかった。
「ちゃんと確かめてみろよ」
「よろしいのですな」
「あれと違って従順にとはいかねえぞ。俺を抱くつもりなら寝首を掻かれる覚悟をしておけよ」
「承知」
 真田が神妙な面持ちで頷く。
 正直、語り足りないことはある。
 己もまだ腹が据わったとは言い難い。真田とて長く抱いていただろう伊達に対するわだかまりが昨日今日で完全に消えたとは思えなかった。
 言葉が圧倒的に足りていないのは互いにわかっていた。だが今日、刃を交えたことで何もかがよくなった。おそらく真田もそうした心地なのだろうと思う。
 触ってみなければわからない。
 真田はそう言った。伊達とて同じである。真田のことも己のことも、こうして触れてみないことにはわからない。だったら気の済むまで触れ合えばいいのだ。
 真田の手が腰へと回る。伊達が大人しくそれを受け入れ、目を伏せかけたそのとき、真田がふと何かを思い出した顔つきになった。
「俺の前で余所事考えるたァ、いい度胸だな真田」
 無防備なところへ鳩尾に一発、拳を喰らって真田が悶絶する。
「まこと……一筋縄では参らぬ……」
「覚悟しろよ?」
 そう笑んでみせた伊達に真田もまた好戦的な笑みを返す。やはりこうでなくては、強い力で掻き抱かれ、強引に口を塞がれて、ようやく伊達はその瞼を伏せた。