伊達は電車と徒歩で、真田は自転車で高校までの距離をそれぞれ通っている。 二人揃っての下校時には、伊達にあわせて駅の前まで真田が自転車を引いて歩き、改札の向こうへと伊達が姿を消すまでその場に留まり見送るのが常だった。 だが、今日は違う。通い慣れた駅のホームで電車を待つ伊達の隣りには真田がいる。 真田は手の中の切符を物珍しげにためつすがめつ眺めていた。先ほど、慣れぬ仕種で路線図と券売機を交互に見ていた真田の代わりに伊達が買ってやったものだ。これはかたじけのうござる、時代がかった口調はついぞ直ることがない。直す気もないのだろう。だが、真田がこのような話し方をするのは己の前だけであることを伊達はもう知っていた。 「電車、あんまり乗らねえのか」 「近場は自転車で事足りまする。遠出の際は家人が車を出しますゆえ」 「そうか」 真田とはこれまでそう落ち着いて話をしたことがない。 家人というのが誰のことを指すのか、伊達には把握しかねた。両親は、兄弟は、――訊いたこともなければ、逆に尋ねられたこともない。 放課後の教室、学校から駅までの短い距離をともにする時間、それが真田とのすべてだ。そうやって春からこの秋までを過ごしてきた。 クラスどころか学年も違う。部活も同じではない。伊達は書道部に属していたが、真田はいわゆる帰宅部だ。 毎日、待ち合わせて帰るようになったのは二学期が始まってからのことで、受験生である伊達が夏で部活を引退したためだ。それまでは週に二度ほど部活のない日を選んで真田が三年の教室までやってきていた。 会話にのぼる話題といえば他愛もないことだ。 クラスのこと、部活のこと、課題にテスト、食堂のメニュー。ありふれた日常の出来事。そしてごく稀に過去の、この世に生まれ出づるより前の記憶について。 別段、その状態に業を煮やしたわけではない。 ただ何かの折、少し前に世間で話題となった映画の話が出た。映画館で見損ねたのだという真田に、ならばうちに来て観ればいいと伊達は言った。その話題作のDVDを先日購入したばかりで、テストが終われば観ようと封も切っていないままだった。 真田は少し驚いて、恐縮もしてはいたが、テスト最終日に気晴らしも兼ねてと伊達が誘えば快く承諾した。 そうして迎えたテスト最終日、約束どおり真田を自宅へと招くべく、伊達は駅のベンチに真田と横並びになって座り、電車を待っている。 だが、目的の電車は来ない。間の悪いことに、今日に限って通学に使っている線は遅延していた。 昨夜のうちに降った大雨の影響か、昼頃になって局所的な土砂崩れが起こったらしい。それが上手の線路にかかってしまったようだ。 目の前の空はからりと晴れているので、思いもよらないことだった。 「まったく参る気配もございませんな」 「ああ……」 何でもないふうを装いながら、伊達は消沈していた。 せっかくの機会だ。テストが午前で終了することもあり、伊達は手ずから昼食を用意して真田に振る舞ってやるつもりで、昨晩から仕込みも完璧に終えていたのだ。 しかし、これでは昼どころか、いつ自宅に帰りつけるかもわからない。伊達はともかく、真田を同じようにここで待たせる道理はない。 また今度の機会にするか、伊達は先ほどから何度もそう言い出そうとしては結局言えずにいた。 たとえ沈黙の中にあっても、真田とならばそれが苦痛ではなかった。むしろ心地よさすら感じる。ただ、真田がどう感じているかは知る由もなかった。できれば同じように思っていてくれればよい、ふと浮かんだ自分の考えに伊達は思わず唇を噛み締める。 他者に対してそんなふうに考える自分は今までどこにもいなかった。この男が目の前に現れてからだ。自分は変わってしまった。過去の記憶と同じに。 やおら真田が立ち上がり、しばし待たれよ、との言葉だけ残してどこぞへ消えた。 痺れを切らして駅員に状況を問いに行ったのかもしれない。 伊達はぼんやりと線路の向こうに目をやった。 やはりわずかも電車が来る気配はない。 ――流れるかもな。 思えばいつもそうだった。 真田と二人で示し合わせて事を起こそうとすると、決まって何かしら邪魔が入る。 前世においても現世においても、だ。 そのような定めのもとにあるのかもしれない。 諦めの境地で伊達は溜め息をつき、目を伏せた。すると、不意に目の前が陰る。目を開けると、真田が笑顔で立っていた。 「復旧の見込みも立たぬ今、まずは腹ごしらえをいたしましょうぞ。政宗殿も召し上がられよ」 (中略) 伊達の治療と療養の地に上田が選ばれたのにはわけがある。上田には真田の居城がある。真田は若くして武田信玄より城代を任されていた。 よほどの深手を負った者はさておき、動かせる者は武田屋敷から引き取り、真田側の案内のもと、伊達軍は上田城下へ入った。 安土城の戦でさらに負傷者が増えたこともあり、長篠の戦からの負傷者を抱えていた武田屋敷では手が回らない。また、主である武田信玄は生命に別状ないほどに持ち直したものの、いまだ床から離れずにある。主たる理由はだいたいそんなところだった。 加えて上田は気候がよく、甲斐の国ほど暑さ寒さも厳しくないため養生にはうってつけである。これは真田の忍び、猿飛佐助の弁だ。 伊達方としても、より奥州に近い上田の立地はありがたかった。 真田は甲斐と上田を度々行き来して、せわしなく立ち回っている。 織田信長とあれほどの死闘を繰り広げた後だというのに本人はいたってぴんぴんとしており、伊達をはじめ、周囲の人間を唖然とさせたのは記憶に新しい。 長らく城を空けていたために真田の城代としての仕事は山積みになっている。まもなく冬がやってくる。その前に普請しておかねばならぬ要所も多々あろう。 伊達とてそれは同様なのだが、戦で直接に被害を受けたわけではないため、さほどではない。国に残してきた重臣たちで十分に賄える範囲だ。 甲斐は違う。明智の謀略によって堤を切られ、水没した地域の被害を他の収穫で補わねばならぬ。その他所にはこの上田も入っているだろう。 しかし、その忙しい合間を縫って、真田は伊達のもとを訪れることも欠かさなかった。わざわざ城主自らやってきて、不都合ありませぬかと目通りのたびに口にする。 なるほど伊達は客人である。 問題ない、と答えると真田は心から安堵した笑みを浮かべる。 「アンタも苦労なことだな」 「なんの、これしき」 甲斐と上田は思われるより近いのです。お館様の治世のもと両所を繋ぐ街道もよく整備されているゆえ馬の負担も少ない。 快活に答える真田を前にして、伊達はそうじゃねえと首を振った。 「織田勢を討ち倒した今、アンタがこっちの面倒を見ることになんの旨みもねえってのにな。……そういう意味だ」 真田の表情がすっと硬くなる。伊達はにやりと笑みを浮かべてみせた。 「それどころか、テメエの脅威を自ら育ててるようなもんだぜ? you see?」 「……もちろん。理解はしておる。しかしながら、お館様も同じことをしたであろう。某は間違っておらぬ」 真田は伊達を見据え、きっぱりとそう言い切った。 「それに貴殿とは互いに万全の状態でやりあいたいのだ!」 迷いのない真っ直ぐな目だ。そこに含むところはまるで見つけられない。 「……仕方ねえな」 伊達は目を伏せると肩を竦めてみせた。 「小十郎」 「は」 「今年の米は豊作で余剰が出たんだったな。そいつを甲斐へ運ばせろ。子細は任せる」 「心得ましてございます。すぐに指図をいたしましょう」 伊達の命を受けると即、腰を上げ、その場を辞した片倉に対し、真田は目を丸くしてその場に固まったままだ。 「政宗殿」 「世話んなった礼だ。あんまりsmartなやり方じゃねえが、アンタんとこで今足りてねえのはこれだろ」 「……いかにも」 真田が一瞬苦渋の表情を浮かべ、頷いてみせた。真田にそんな顔をさせるとは、伊達が思うよりはるかに甲斐の国の被害は深刻なのかもしれない。 「かたじけのうござる」 真田が深く深く平伏する。 「これで我が民たちも安心して冬を越すことができまする」 「礼だと言った。アンタが頭を下げる必要はねえ。……悪ィが今少し、世話になるしな」 思わず腹の傷に手をやった伊達の仕種を見て真田が何か口にしかける。それを目で制して、伊達はからりとした声を出した。 「奥州の米は旨いぜ? アンタも食うといい」 「は。有り難く頂戴いたす!」 (冒頭より一部抜粋) |