下記サンプルにR18部分は掲載していませんが、残りはほとんどR18なシーンだと思っていただければよいかと……。 あと、二つめの「Baptize:黒」は真田が筆頭にちょっとひどいことをします。苦手な方はご注意願います。 伊達が武田に降った。 すでに武田の前には北条、今川、徳川、そして上杉までもが膝を折っている。 その列に奥州を統べる伊達が加えられた。 これにより東をほぼ手中に納めた武田がその勢いをもって西日本の諸国を抑え、上洛する日も近い。 いまや武田の威勢は揺るぎないものとなっていた。 その立役者の一人でもある武田の将、真田源二郎幸村は主である信玄公の命により奥州へとやってきていた。 伊達より贈られる献上の品を受け取り、その帰順の姿勢がまことのもので、伊達に叛意なきことを確かめるためだ。 信玄の名代としてやってきているので真田が上座である。迎える伊達は板の間に平伏している。両者ともに正装した姿だ。真田は伊達の直垂姿を初めて見た。 「面を上げられよ」 真田の一声にそろそろと伊達の頭が上がる。 そこには感情のひとかけらも浮かんではいなかった。 憤怒も怨嗟も諂いもない。また、それらを押し殺しているような不自然さもない。湖面のように静かなさまだ。 よそよそしくも美しい。戦場で見る苛烈な姿とはまた違った美しさである。真田は思わず見惚れてしまいそうになる己を叱咤して、務めを果たすことに集中しようと奥歯を噛み締め、唇を引き結んだ。 伊達との対面は数ヶ月ぶりであった。 真田が伊達を戦場で討ち破ってからはさらにもっと長い年月を経ている。 あのとき、互いに血と汗と泥にまみれた姿で戦場の喧噪の中にいたのが夢であったかのようだ。髪も衣も身綺麗に整えられ、香が焚かれた居室はしんと静まりかえっている。 伊達は淡々と口上を述べる。やはりそこにも感情を窺わせるものはなかった。しかし、その無感動な声すらも真田の耳には心地よく響くのだった。いったいどのような妖術かと真田は戯れに思う。 伊達は――真田が相対した多くの敵将の中で、ずば抜けて異彩を放っていた。 この男と初めて出会い、刃を交えたときに味わった昂揚はとても言葉にできるものではなかった。ただ、強いだけではない。伊達の振るう六爪、そこから放たれる雷光は凄まじくも美しかった。 幾度か単騎で討ち合う機会を得たが、なかなか決着はつかないでいた。武田が次々に圧してゆく東の地で最後まで伊達が残ったのはこの男の並ならぬ強さと若さに見合わぬ統率力ゆえだ。 だが、先だっての戦において、真田はついにその強靭な竜を死闘の末に仕留めた。あとはその首を刎ねるまでとなった寸前、両者の戦を見届けた主から待ての声がかかったのだった。 武田は伊達の才を惜しみ、生かす道を選んだ。 「奥州の豊かなること、あいわかり申した」 献上された目録には、海のもの、山のもの、その他多くの品目がずらりと並ぶ。 実際に眼前に並べられたのはそのうちのわずかであろう。 武田からの使者を迎えるにあたり、ぬかりなく整えられた場だ。奥州は甲斐よりさらに都から遠く離れてはいるが、作法に則ったそれには、いささかの隙もなかった。 おそらく、このあと真田が受ける饗応も完璧なものであるに違いない。 それを想像したとき、真田は急に気が重くなった。 「いずれも見事な品々にて。お館様もお喜びになりましょう」 抑揚のない真田の声を聞き、伊達が表情を変えぬまま口にした。 「お言葉のわりには冴えないお顔をされておられますな」 「………」 伊達の出で立ちの思いもかけぬ美しさに目を奪われ、真田の心が騒いだのは一時であった。 伊達の能面のような表情を眺めていると次第に真田の胸のうちはどこか空虚な想いに満ちていったのだった。 このような上辺だけの品など……。用意された献上品を目にしてそう考えている己がいる。 上辺だけなのはそれだけではない。この場も、伊達の態度も、そして己自身も。何もかもが上っ面ばかりだ。 「真田殿、いかがされました」 窺うように伊達がこちらを見上げる。 「お気になさるな。ただ某が慣れぬだけのこと……」 真田はふいと横向いて呟く。 「……忠義を金品で表すことなど」 失言であったことは確かだ。少なくともこのような場で口にする内容ではない。だが、真田の中で燻り続けていた苛立ちがそれを言葉にさせてしまった。 「伊達よりの心尽くしの品々、真田殿はお気に召さぬと申されるか」 一段低められた伊達の声音はわざとであろう。憤りすら演技なのだ。真田は暗い気持ちで首を振った。 「……そうではござらん」 「そのような意でありましょう」 尖った声でそう言い、伊達はなおも食い下がった。 にわかに不穏な空気が流れ始める。 もとより真田はこのような場は苦手である。うまい言い方で取りなすことも、立場をかさにきて言い負かすことも、どちらもできぬ。 せめて受け流そうとするのに精一杯であるが、畳みかけるような伊達の勢いは止まらなかった。 「真田殿はつまりこうおっしゃりたいのでございましょう」 無表情の中で唯一その左目がぎらりと光る。 「恭順の証左がまだ足りぬと……」 伊達の唇の端が歪み、皮肉な笑みを作った。 「ならばこの身を差し出せば気が済むか真田幸村」 真田のよく知る覇気が瞬時にしてぶわりと立ちのぼる。 とっさに真田は身構えた。腰に手をやる。 真田は帯刀しているが、伊達は丸腰である。しかし真田は完全に圧倒されていた。 伊達が立ち上がり、諸肌を脱ぐ。 このような場で無礼千万の振る舞いではあるが、不思議にそれは堂にいっていた。 「茶番はここまでとしようぜ真田幸村。さあ本音を言いな。……俺が何も気づかないとでも思ったか」 真田はかっと頬に朱がさしたのを自覚した。知られていた。愕然となる。 (以上「Baptize:灰」本文冒頭より抜粋) 「奥州の豊かなること、あいわかり申した」 眼前に並べられた品々を睥睨し、真田はふと嘆息する。 「……だが」 俯きがちだった伊達の頭がわずかに揺らぐ。伊達の視線がこちらへ向くのを待ち、真田はゆっくりと続けた。 「このような上辺だけの品で武田を籠絡したとは思われぬことだ。――伊達殿」 真田のその発言に能面のようだった伊達の表情が初めて動いた。それでも、いっかな声音は変わらず平板としたものだった。 「……伊達よりの心尽くしの品々、真田殿はお気に召されぬと申されるか」 真田は答えず、傍らに控えていた己の従者へ下がれと仕草のみで命じた。するすると従者が音もなく退出してゆき、一室には真田と伊達の二人のみとなる。 真田が人払いをしたことで、伊達はあからさまに眉根を寄せた。 「気に召さぬとは申しておらぬ。ただ、これしきのことで、と申しておるのだ」 「つまり恭順の証左がまだ足りぬと……」 伊達の唇の端が歪み、皮肉な笑みを形作った。 「足りませぬな」 応えた真田も薄い笑みを浮かべてみせる。 「ならばこの身を差し出せば気が済むか真田幸村」 空気がびりびりと震える。伊達のひとつ目が射殺さんばかりの鋭さでこちらへ向けられる。 やはり竜は死んでおらぬ。真田は声を上げて笑い出したくなるのを懸命にこらえた。 いたぶりたいのだ己は、この竜を。存分に心ゆくまで。 すました顔で礼を取る姿など見たくない。刃向かう姿勢をとことんまで崩さずに、膝を折りはしても隙あらば噛みつくくらいの気概で対峙してもらわなければ困るのだ。それでなくては主の命であったとはいえ、生かした意味がない。 「相手を違えておろう伊達殿」 内心の悦びとは裏腹に、ことさら淡々とした調子を装って真田は口にした。 「伊達は武田のもの。お館様のものだ。いかな品を差し出されたとて、某が受け取るわけには参らぬ」 伊達が肩をそびやかし、馬鹿にした目つきで真田を見る。 「Ha! 武田随一の将が今さら何を。見上げた忠誠心だが、甲斐の虎に遠慮はいらねえだろ。俺をやったのはほかでもないアンタだ。アンタには俺を食らう権利がある」 食らうとは言い得て妙。――伊達にはこうしたやたらと勘の鋭いところがある。 「それにいまさらだろ」 「何がでござる」 「取り繕うなよ」 空とぼける真田を睨めつけ、伊達は言い放った。 「ずっと欲に飢えた目に晒されて、俺が何も気づかないとでも思ったか?」 やはり察していたかと真田は思う。 「その上でこんな難癖つけて言いがかりたァ、らしくねえな真田」 「そなたこそ」 ふと真田は口許に笑みを浮かべた。 「某の安い挑発に乗るなど伊達殿らしくありませぬな」 「どこぞの犬があんまり物欲しそうなツラしてやがるんで、乗ってやったまでのことよ」 愚かな、真田は思う。なんと愚かな御方であることよ。だが、伊達のこの愚かさをいとおしくも思う。 もっとも、遅かれ早かれ真田は伊達を手に入れるつもりではあった。幾重にも罠を張り、策を弄し、伊達を雁字搦めにしてから屈服させる予定だったが、予想外に早く獲物のほうから飛び込んで来たというわけだ。だが、こうした趣向もまた悪くはない。 「――酷いことになりますぞ」 真田はまっすぐに伊達の目を見据えて言った。 「構わねえよ。それこそ、いまさらだ」 「ならばすぐにも」 真田の即答に伊達がわずかに身じろいだ。 「ここでか」 眉を顰めた伊達に真田は声もなく笑う。 「ここは武田が伊達の恭順の意を検分する場。おかしくはありますまい。伊達殿という献上品を某が検分して差し上げましょうぞ」 「がっついた犬は作法も知らぬらしいな」 不快を露わにして伊達が吐き捨てる。 「気になるのならば、あらためてお人払いされるなり場所を変えるなりなされるがよかろう。それとも怖じ気づかれましたかな。ご覧のとおり某は武骨者ゆえ、優しく扱って差し上げられますかどうか……」 「黙れ」 伊達の鋭い声が真田をぴしゃりと遮る。 (以上「Baptize:黒」本文冒頭より抜粋) 真白い寝衣を着せられた伊達が寝床の上にいた。 寝間に足を一歩踏み入れ、その光景を目の当たりにした途端、真田は背を向けてそこから逃げ出したいような心地に駆られた。かろうじて踏みとどまり、ぎくしゃくと障子戸を閉める。 だが、次の行動を取りかねて、そのまま戸の前でじっとしてしまう。とてもではないが、寝床には近寄れない。 「何してる」 板の間の真田へ向かって、早々に焦れた伊達の声がかかる。その声音は低く、あきらかに不機嫌であることは鈍い真田にも察せられた。 「その……」 「アンタ、そこで夜を明かすつもりか」 「いえ……」 伊達の顔をまともに見れず、歯切れ悪く応じる己が情けなかった。 腹は括ったはずだった。 迎え出た侍女の前でも、さも当然の行いであるという顔をして鷹揚に振る舞ってみせた。 だが、この醜態はどうだろう。まるで真田は蛇に睨まれた蛙のようなありさまでいる。 蛇は伊達だ。 うまい例えだと、己で感心している場合ではない。 真田は意を決し、拳を握り締めて立ち上がると、伊達が胡坐を組んでいる寝床のほうへ歩みを進めた。 だが、やはりその上に乗るのはどうしても躊躇われて、真横で立ち止まってしまう。伊達はそんな真田に向かって眉根を寄せ、言った。 「……見下ろすな。座れ」 「は、はい」 腰を下ろし、伊達と同じように胡坐を組む。だが、単衣姿の伊達の姿が視界に入ると、真田はまた動揺を隠せない。目のやり場に困って視線はあちこちを彷徨う。 伊達は胡乱なものを見る目で、そんな真田を眺めている。 「――あれ以来か、アンタと顔を合わせるのは」 小さな溜め息をついて、伊達が呟くように言った。 その声音からは少しばかり、それまでの険が失せているように思えて真田も頷く。 「もうずいぶんと遠き日のことのようにござる」 伊達との戦。そこで、真田は伊達との一騎討ちの機会を得た。片や大将として自軍を率いながらの勝負、片や遊軍の将として責務を負わぬ自由の身。対等な条件とは言えなかったが、とにもかくにも勝利したのは真田である。薄氷を履むような思いもしたが、伊達の六爪を弾き飛ばし、折れた槍をそれでも最後には伊達の喉元へと突き立てた。 「あんときのアンタの槍捌きは見事だった」 伊達は感慨深げにそう口にした。 「政宗殿こそ……ッ」 勢い込んで続けようとした台詞は、伊達の深い溜め息によって遮られる。 「……それがなんでこうなっちまうかね」 見れば、また元のように伊達の眉間は寄せられている。 真田はしおしおと黙った。 そこからは沈黙ばかりが二人の間を占めた。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。何か糸口をと、真田は話のきっかけを探す。 「ゆ、湯を使われたので」 「あ?」 「おぐしが濡れておるように見受けられまして……」 甲斐にはよき源泉が多数ある。今夜は時間からいって使用したのは屋敷の湯殿だろう。だが、いつかは伊達をそれらに案内できたらと思い、真田が言葉を続けようとしたときだった。 伊達がむっつりと不機嫌なさまも露わに言ったのだ。 「ああ。さっき、アンタんとこの連中に裸に剥かれて隅から隅まで洗われた」 「そ、それは、とんだ御無礼を……ッ」 真田はあたふたと平伏する。 その頭上に先ほどよりもっと低い声音が降ってきた。 「身綺麗にして主人を迎えるは花嫁が務め、だとよ」 顔を上げた真田を見て、伊達の口の端が皮肉げに歪められる。 「悪趣味もここに極まれり、だな」 配下の者に、身分ある敵方の将を文字通り「娶らせて」賜らせる。殺しはしないが、その身体を支配することで、恭順の意を徹底的に叩き込む。いつも採られる方法ではないが、それが武田のやり方のひとつであるのも確かだった。 (以上「Baptize:白」本文より一部抜粋) |