傷つき倒れ伏した毛利元就の姿を近隣の林で発見したとの報せが入った。 真田はそのとき、村にある寺の一房で手当てを受けている最中であった。毛利の操る要塞の蹂躙から瀬戸際で真田が守った村である。真田が率いていた武田、薩摩の両部隊は村の恩人として手厚い歓待を受けた。宿営地としているこの寺も村人たち自ら差し出してきたものである。 耳打ちでの報告を受けた真田は、保護した上で丁重に手当てして差し上げよとの指示を出した。くれぐれも村の者たちにはそれと悟られぬようにな。配下が頷く。その者に躊躇はなかった。真田の意図を尋ねることもなければ、訝しむ素振りも見せない。 そこに己に対する信頼があることを真田は感じる。旅の始め――甲斐を出立したばかりの頃には得ることのできなかった実感だ。それは真田を勇気づける。 ただ多くの者たちは討った敵方の将を捕らえるのならばともかく保護するなどありえぬことだと感じるだろう。 村人たちの目もある。毛利の素性はごく少数の者にだけ明かされ、その存在は秘匿された。 村が寝静まった頃合いを見計らい、真田は寝床を抜け出した。外には先導の者が待っている。その者の案内で村外れの庵へと向かう。そこに毛利を匿っているのだ。 意識は戻ったか。真田の問いに先導の者は首を振る。 武装を解き、調達してきた寝衣に着替えさせる間も男はぴくりともしなかったという。死んではおりませぬ。重傷には違いありませぬが。 庵の中へと真田は足を踏み入れる。 粗末ながらも敷物の上に男は寝かされていた。身体にはかいまきの代わりに萌黄の布がかけられている。毛利が身につけていた装束だと思われた。たやすく物資など調達できないこの村ではこれでも破格の待遇だ。丁重に扱えと言った真田の命は守られている。 真田はこんこんと眠り続ける毛利の枕元へ腰を下ろし、端座した。 こうしてそばに寄ってみると、毛利元就という男はいかにも小柄である。身体だけではない。その頭蓋も小さい。真田も武将としては小柄なほうだと言われるが、それでも毛利は比較にすらならない。布地越しにもほっそりとした身体つきであることがわかる。 そして、そのような華奢な身体にふさわしいとも言える怜悧で整った顔つきを男はしていた。薄茶の髪は長くも短くもない。 そのさまは不意に、真田にある人物を思い起こさせた。敷布に散った髪と白皙のおもて――真田は思わず目を瞑り、邪念を払うように首を振る。 あれとこれとではまったく違う。何を血迷うておる。 己を叱咤した後、再び目の前の男へと視線を戻し、じっと眺めやった。 本当にこれがあの冷酷無比な毛利元就であろうか。あどけないとまでは言わないが、その寝姿にはまるで害意らしきものが感じられない。 真田は試しに毛利へ向け、ぶわりと殺気を発してみた。戦場で対峙するときとまったく同じ熱量で。 すると、やはりというべきか、さすがというべきか――毛利が薄く瞼を開いたのだった。 「お目覚めになられたか」 真田はすぐに纏った殺気を消し、静かに毛利を見下ろす。 目覚めた毛利に動揺の素振りは見られなかった。真田を警戒して跳ね起きるということもない。もっとも、起き上がりたくとも身体のほうが動かないのかもしれなかったが。さりとて毛利は重傷だというのに呻き声ひとつ上げぬ。 ただ、わずかばかり目を眇め、真田の姿を見て口にした。 「武田の捨て駒ではないか」 真田はふと笑みを浮かべる。毛利の物言いに懐かしさを覚えたためだ。 「政宗殿も初めてあいまみえたとき、某をそのように称された。さしずめ武田の捨て駒だと」 「まさむね……」 毛利は秀麗な眉目をわずかに寄せ、何やら考えているようであったが、すぐに答えを導き出したようだ。 「伊達のことか」 「いかにも。奥州の独眼竜、伊達政宗殿にございまする」 冷たく冴えた目が真田を向く。 「敵将を名で呼ぶか……」 殺気など露ほども孕んでいないというのに何か圧されるような気配がある。これは怪我人と侮ってはならぬ。真田は再び背筋を伸ばし、居住まいを正した。 (本文冒頭より抜粋) 「真田か?」 名を出した限りは確信あってのことだろう。真田は頷いて口にした。 「いかにも」 声を聞いた途端、ふっと伊達の肩から力が抜けたのが夜目にもわかった。 「驚いたぜ。気配がまるでねえ」 燭台に灯りが点され、寝衣姿の伊達が照らし出される。刀はすでに戻され、伊達の手にはない。 「されど、そちらの忍びから報せはいったのでは」 「ああ、まあな。だが、まさかアンタがここまで気配を殺せるとは思ってもみなかった」 伊達はすっかりくだけたようすになって、元いた寝床にどかりと腰を下ろし、胡坐をかいた。 「アンタのことだ。てっきり馬鹿でかい音をさせてやってくるもんだと思い込んでたから油断しちまった」 まあ座んな、そう促されて真田も畳の上に伊達と同じように胡坐の姿勢で座り込む。 「アンタ、忍びの真似事もできたんだな」 伊達は片膝を立てて、そこに頬杖をつき、面白そうに真田を見やる。 「ただただ、うるさいばかりかと思っていたが……今夜はやけに静かじゃねえか」 「夜這いは忍んで参るものにございましょう」 「夜這いか」 くくと伊達は笑った。 機嫌はよさそうだった。顔色も悪くはない。寝衣の袷やめくれ上がった裾からは、そこかしこに布が巻かれているのが覗いていたが、こうして身体を起こせるのならば、元のように回復するのもそう遠い日のことではないだろう。 それでも真田は口にする。 「お加減はいかがでござる」 「見てのとおりだ。……ざまあねえな」 おや、と真田は思う。てっきりいつもの強がりが返ってくるものと思い込んでいたのだ。 「豊臣をおひとりで討ち取ったこと、聞いておりまするが」 「アンタも毛利の作った馬鹿でかい移動式要塞をひとりでぶっ壊したそうじゃねえか。それでいながら、もうピンシャンしてやがる。ここ奥州にまで馬を駆ってやって来るくらいには、な」 こちらが知り得るのと同等に、伊達側も諸国の事情は把握しているようだった。 「某、身体だけは丈夫なのがとりえでござる」 真田の答えにまた伊達が声をたてて笑った。 「そういや、織田とやりあったときもアンタはそうだったな」 どこか懐かしむような目をして伊達は真田を見る。 「末恐ろしい野郎だぜ」 楽しげに浮かべられた笑みは真田がよく知るもので、思わず真田も表情を緩めた。だが、すぐに伊達の唇からその笑みは消えた。 「……遠路はるばるやって来たアンタにゃ悪いが、まだ元のようには動かせねえ。アンタとやりあえるのは、もう少し先になっちまうな」 暗に今年の戦はもうないと告げている。伊達が完治する頃にはすでに奥州の地は深い雪に閉ざされているだろう。無理もない。 「構いませぬ」 真田は首を振った。 「今宵はそなたの見舞いに参ったゆえ」 「夜這いじゃなかったのかよ」 伊達が肩を竦めてみせる。 「どれも口実にござる。ただ……、そなたの顔が見たかった」 本音は意外に早く唇から滑り落ちた。もともと真田は心を隠しておくのが得手ではない。だが、今宵はいつにもまして伊達の前で体裁を繕うことができそうになかった。 伊達は無言のまま、枕元にあった煙草盆を引き寄せる。慣れた仕草で煙管に煙草を詰め、火をつけた。真田もまた、じっと黙り込んで伊達の手元を見つめていると、伊達が視線をこちらにやらないまま、言った。 「続けろ」 「は……」 「何か話があんだろ」 素っ気なく伊達は言う。 先ほどの真田の発言は伊達の中でなかったことにされているのか。それとも気遣いから、わざと素知らぬ振りを装っているのか。 いずれにせよ、真田が伊達に話を聞いてもらいたいと思っていたことを早々に伊達は看破してしまった。 (本文より一部抜粋) |