真田の虜囚となった伊達の話「籠」の後日談です。家康視点、佐助視点、真田視点の三本立てです。
※Baptizeシリーズは無印ベースのつもりでしたが、この本については3の家康が登場していて天下統一を果たしてます。
 また家康視点のお話は真田死亡後となります。御注意ください。




 我を忘れたのは久方ぶりだった。
「憶測のみで滅多なことを口にするんじゃない」
 それは己でも予期せぬ大声となった。近習を叱責した声は回廊まで漏れ聞こえていたのだろう。
「下がれ」
 は、と叩頭した近習が退出するのと入れ違いに室内へと入ってきた伊達の姿を目にしたとき、徳川は己の失態に頭を抱えたい気持ちになった。
「おう、邪魔するぜ」
 伊達はあくまで涼しい顔だ。慣れた調子で鴨居の下をくぐり、畳の上へどかりと腰を下ろす。呼応するように徳川もすぐさまいつもの笑みを作り、伊達へと向けた。
「呼び出してすまない。先日の評議で意見が割れてな。お前の所見を聞いてみたくなったというわけだ。北の地はやはりお前が詳しいだろう。力を貸してくれ」
 評定の資料を伊達に向かって差し出す。これはもともと用意していたものだ。自然な形で話に入れたことに徳川は内心で安堵した。
「そりゃ構わねえが」
 伊達は手渡された書状をぱらりと開いてみせながら、ふと笑みを唇の端に浮かべる。
「ずいぶんときつく叱り飛ばしたもんだな、アンタが。珍しいこともあるもんだ」
 うまく誤魔化せたと思えたのは束の間、やはり来たかと徳川は思う。
「……珍しくなどないさ」
「家臣の諫言はもちろんのこと、近習の小言にすら笑って耳を傾けると評判の、温厚な殿様の逆鱗に触れるたァ、ただごとではないと思うだろ」
「お前の耳に入れるほどのことではない」
 返した声は固いものとなった。
「憶測がどうとか言っていたな」
「くだらん噂話だ」
 笑ってみせようとしたが、先ほどの近習とのやりとりを思い出し、それは失敗する。強ばった表情をなるべく普段どおりに保つのだけで精一杯だった。
 だが、伊達はそんな徳川の努力をあっさりと無に帰す。
「――噂話ね」
 首の後ろに手をやって、伊達は軽く世間話でもするよう口にした。
「この俺が真田幸村の慰み者だったという話か」
 すっと血の気が引いた。伊達と目が合う。
「城内でもっぱらの噂らしいな」
「やめろ」
 すかさず徳川は遮った。だが、このような態度では認めてしまっているようなものだ。徳川は己が感情の制御を昔に比べればずっと器用にこなせるようになったと思っている。だが、伊達の前ではいまだに、なぜだかそれらがうまくいかないことが多い。
 対する伊達は、そんな徳川をすべて見通したような目をして泰然と座している。その表情に狼狽えたようすは微塵もなく、常と変わらぬ静けさだ。
 ――武田の時代、奥州筆頭であるはずの伊達政宗が真田幸村の居城に軟禁されていたという。さらには――口にするのも憚られる。徳川は思わず頭を左右に振った。






(本文冒頭より抜粋)