莫逆の友





「王が台輔を正寝に連れ込んだまま出てけえへんやとォ!?」

 服部の大声は内宮に響き渡り、牀榻でまどろむ新一の耳にまでおぼろげにだが届いていた。
「あの馬鹿……」
 目を伏せたまま呟く。
 服部のよく通る声は戦場では頼もしいばかりだが、王宮内にあっては歩く拡声器そのものだ。
「……無粋者に踏み込まれる前に手を打つか」
 腕の中の愛しい存在を置いて、起き出すことを考える。
 新一が身じろぎしても、疲れ切っているのか快斗に目を覚ます気配はない。
 あどけない寝顔を目にして、思わず自嘲の笑みが洩れる。
 昨夜、同じ腕の中で新一に見せた仄かな艶かしさは消え去り、いつもどおりの幼い表情だ。
 無茶を強いた自覚はある。
「それでも逆らえねえのが麒麟、か……」
 小さな身体を丸めるようにして衾褥に横たわる快斗の髪に口づけをひとつ落とし、新一は立ち退いた。

 臥室から出ると、やきもきしていたのだろう世話係の女御がほっとした表情で旗袍を着せ掛けにくる。
 袖を通しながらも、新一の耳は喚く声が近くなるのを聞きとっていた。それと知りながら口にしてみる。
「あの声は服部か」
「左様でございます」
 答える女御の口許にも苦笑が浮かんでいる。
「台輔はもうしばらく休ませておいてやれ。昼を過ぎても目覚めぬようなら起こして朝餉をとらせろ。用意する膳は消化によいものを」
「かしこまりました」



 長楽殿を出て、少しも経たないうちに新一は声の主に捕まった。
「くどおッ!」
 人目を憚ることなく王である新一を呼び捨てにするのも、こうして興奮すると胸倉を掴んで揺さぶるのもいつものことだ。
「おっ前、朝議も放り出して何やっとんじゃ!」
「怒鳴るな」
 思わず新一は眉を顰めて瞼を閉じる。久々に耳にする服部の大声に、起きぬけの身体で相対するのはさすがにつらい。
「黒羽……ちゃう、台輔はどないしたッ」
「まだ、あん中だ」
 新一が顎をしゃくって王の臥室がある建物を指してみせると、掴まれたままの胸倉を一層引き寄せられた。
 服部の見開いた目が間近になる。
「なっ、なっ、なに考えとんねん!」
 意外と察しがいいじゃねえか服部のくせに、と色事には疎そうな左軍将軍を新一はぼんやりと眺める。新一に無礼を咎めるような素振りはまったくない。服部の勢いも変わらない。王の胸倉を掴んで臣が詰め寄るなど、他国の人間が目にすれば卒倒しそうな光景ではあるが、この王と将軍においては日常茶飯事の出来事で、いまさら護衛も側近も駆けつけては来ない。
「台輔が王の寝所で休むことに何か問題が?」
「おおありじゃ!」
 怒鳴る服部に新一は笑ってみせる。
「そのようすだと連れ込んだ理由、わかってるみてえだな?」
 改めて確認するべく問うと、服部の耳が瞬時にして赤く染まり、パッと手が離れた。ようやく解放された襟元を整える新一を前に、服部の握られた拳がわなわなと震え出す。
「お前の普段の態度見とったらイヤでもわかるっちゅーねん。よりにもよって俺が不在のときに……」
 不在を狙ったに決まってんじゃねーか、とは言わないでおく。
「おめーは騒ぎすぎだっつーの」
 衣服を整え終えて、新一は軽く溜め息をつく。
「あんな、工藤!」
 服部がこちらをきっと睨む。感情が昂ぶったせいか、やや涙目になってすらいる。
「台輔は御歳十三やぞ!?」
「ああ、そうだな」
「いっくら王でもやってええこととわるいことがあるやろが!」
「いいんだよ」
「あかーん!」
 服部が大きく首を振る。
「黒羽はまだなんも知らんかったやないか!なんでもうあと数年が待たれへんねん!」
 台輔と呼称することも忘れて再び詰め寄る服部に新一はやはり動じず、しれっと答えを返す。
「あと数年経って抱くなら今抱いても同じことだろ」
「お前……」
 なんとも言えない表情で押し黙った服部が急に声をひそめ、新一の耳元で言った。
「……なあ、ほんまにやってもうたんか?最後まで?」
「寸止めしてどうすんだよ」
 服部はくっと声を詰まらせ、大袈裟な仕種で目許を覆ってみせる。
「あんまりや。年端もいかん幼子が王の勅命で身体を差し出さなあかんなんて、むごいわ。むごすぎる」
「勅命なんか出してねえっての」
「勅命やのうても麒麟が王の意に逆らえるはずあらへんのじゃ!お前も知っとるやろ!どないして丸め込んだか知らんが、ようそんなことできるわ!この人でなし!」
「確かに人じゃねえよなあ、神籍に入っちまえば」
「屁、理、屈、を、ぬかすな!」
「まあ、とりあえず茶でも飲もうぜ。俺はまだ朝メシも食ってねえんだ。付き合えよ服部」
「朝メシてお前……」
 服部はがっくりと肩を落とした。鷹揚を通り越していっそ新一の態度は暢気でさえある。
 ここはもう何を言っても無駄と悟ったのか少し黙った服部を見て、新一はふと口の端で笑う。
「――御自ら視察に出た左軍将軍が帰ってくるなり王の素行についてガミガミ言う余裕があるってことは、悪くはなかったんだな?」
 新一の含みをもたせた声に、対する服部がすぐさま武官の顔になった。
「ああ、親父……夏官長にはまだ報告しとらんけどな。若干ごたついとるが早晩落ち着くやろ。二三、手も打ってきといたしな」
「安心した」
 新一も玉座で皆に見せる主上の顔をとり優雅に微笑む。
「ご苦労だったな。後ほどゆっくり話を聞かせてくれ」
「御意。……って、話をそらすんやないッ!」
 つられて反射的に礼を取りかけ、はっとした服部が叫ぶ。
 しかしすでに新一は歩き始めていた。
 女御を呼んで朝餉の指図をする。もちろん服部用の茶の用意も含めてだ。





 いつものように園林の四阿(あずまや)に席が設えられる。
 服部が建物の中はどうも辛気臭くていけないというので、二人で話をするときはここが定位置だ。政(まつりごと)はもちろん、日々の他愛ない事柄に至るまで、ありとあらゆる話題について語り合う。

 禁軍筆頭左軍将軍、服部平次。

 服部は新一が蒼王として登極する以前からの知己である。歳の頃も同じ、夏官の服部平次・秋官の工藤新一といえば宮城でも有名な双璧だった。ともに明晰な頭脳の持ち主でその点は似ていたが、武官らしく勇猛果敢な服部に対し、法を司る秋官の新一は常において沈着冷静。服部が情ならば新一は理で物事を治める。手法の違いからぶつかり合ったことも少なくはない。若い二人が周囲を憚らず議論するさまは宮城の名物でもあった。
 有能な官吏として重用され、末は国の重鎮となるべく、ともに将来を嘱望されていた。先王の治世の末期は並んで不遇をかこったが、互いを支え合い、急速に傾く国を少しでも持ち堪えるために尽力した。
 登極した新一がすぐさま、服部を左軍将軍に、そして服部の父である服部平蔵を大司馬に据えたのは当然の選定といえた。まず自らの手足を確固たるものにする。王とはいえ実質的な力がなければ何も成せないことを新一は秋官として仕えた時代に痛感していた。
 しかし服部をそばに置くのはそれだけが理由ではない。
 服部の嘘偽りのない人となり、変わらぬ気さくな態度。践祚してからというもの、日々が気を張る場面の連続である新一にとって、その資質は得難いものだった。そして、それは新一だけに限ったことではない。


 北方の情勢を服部から聞き、今後の方針をひととおり纏め終えたところで、池の向こうを駆けてくる小さな人影があった。快斗だ。
「服部ー!」
 溌剌とした声が園林に通り渡る。陽光のもとだと快斗はさらにいとけなく見えて、新一はこっそり自嘲の笑みを浮かべた。服部の言うこともわからないわけではないのだ。
「おかえりっ!」
「おう」
 飛びついてきた快斗を服部が座ったまま抱きとめ、右腕で掲げるようにして抱き上げる。麒麟である快斗に重さはほとんどない。子どもの身ではなおさらだった。とくに快斗の身体は年齢ほどに発達していない。
「早かったな服部!」
 嬉しげな笑顔を見せた快斗を見上げ、服部も笑みを返す。
「黒羽はちょこっと見んうちに、また背ェ伸びたんとちゃうか?」
「ほんと!?」
 快斗の瞳が輝いた。この小さな麒麟はとにかく早く成長し、一人前になることを望んでいる。王のために、国のために。
「ほんまや。なあ工藤?」
「ああ。そうだな」
 すぐにお召し物が合わなくなるのです、と世話役の女御が困ったように、しかしどこか嬉しげに嘆いてみせるのを新一もよく聞かされていた。幼い快斗を前にすると誰も彼も庇護欲が刺激されるらしく、とくに女性は分をわきまえつつも気持ちは母親のそれになってしまうようだった。
 芽吹いたばかりの新芽のように、のびやかに育つ快斗を皆がやさしく見守る。長き冬を越え、ようやく歩みを始めた国の姿を快斗に重ね見ているのかもしれなかった。
 蓬山でも快斗は女仙に溺愛されて育ったようだ。ただでさえ女仙は麒麟を掌中の珠と慈しむところに加えて、快斗の場合はその出自が女仙の憐れを誘った。そして不幸な生い立ちにも関わらず、快斗には拗ねたところがなかった。明るく素直で人懐こい性格が女仙たちの盲愛に拍車をかけたらしい。
 たまに寂しそうな風情を見せるのがまた、周囲の者たちを居ても立ってもいられぬ気にさせるのだ。
 快斗は蓬莱で両親を亡くした。
 胎果はあちらの世界では異端者として周囲と軋轢を生むことが多いようだったが、快斗の場合は幸いなことに優しい両親に恵まれ、愛され、育った。しかし、その両親は快斗が九つの頃、理不尽な事故で奪われてしまう。今も時折、その記憶が快斗を苦しめているのを新一は知っている。もっとずっと幼い頃は両親を恋しがって新一の腕の中で泣いたこともあった。
 本来なら親はないはずの麒麟が父母の情の中で育てられた。そのせいか快斗は常に人恋しいようで、それが余計に幼さを際立たせるのかもしれない。
 しかしいくら人恋しくとも、幼くとも、この世界にあっては快斗は麒麟。皆が皆、礼を取り傅く。蓬莱育ちの快斗にはそれがひどく居たたまれず淋しいことのようだった。その気持ちはこの世界で育ったはずの新一にも少しわかる。傅かれることに慣れていないわけではなかったが、それでも周囲すべての人間が平伏する、その瞬間に覚える孤独の念は消し去りようがない。
 ただ――服部と話すときだけは違った。
 服部の遠慮のない物言いが元の工藤新一に戻ったような気にさせてくれるのだ。自身が王であることを少しの間だけ忘れさせ、その責務から一瞬逃れて休息のときを与えてくれる。
 快斗もたぶん新一と同じだ。
 そもそも服部は最初から、そう昇山して出会ったときから快斗に気安い態度を見せていた。子どもだと侮ったわけではなく、かといって闇雲に麒麟の権威に平伏すのでもなかった。蓬山公に敬意を払いながらも快斗自身の意志というものをはっきりと認めていた。見かけや身分に惑わされたりしない、服部は常に本質を見る目を持っている。そこに加えて服部は飾り気がない。どこまでも自然体なのだ。
 そんな服部の裏表のない人柄を聡い快斗が見抜かないはずがなかった。それまで世話を焼いてきた女仙たちが少々妬いてしまうくらい快斗は服部によく懐いた。当初、快斗には距離を置かれていた新一とは対照的だ。
 さしもの服部も「快斗」と名で呼ぶことはしないが、しかし蓬莱で名乗っていた姓である「黒羽」で台輔を呼ぶのは服部だけである。もちろんこうして三人だけのときに限られるが、それでも快斗にはそれがことのほか嬉しいらしい。今となってはその姓だけが親に繋がる唯一の形見だ。服部だけが快斗に郷愁を赦す――
 宮城にいれば時間の許す限り側にまとわりついて離れないし、こうして服部が視察などから戻れば真っ先に駆け寄ってくる。
 快斗の懐きようを思えば、服部を傳相に据えることも考えた。面倒見がよく、国のことも、また新一のことも心得ている服部ならば快斗の養育係にぴったりだろう。しかし、服部ほどの武官を傳相の地位に置くのも惜しく、傳相には先代もその職を務めた寺井を選んだ。
 結果としてその人選は正解だったと新一は思っている。
 快斗は寺井にもすぐに懐いた。たまに無茶をして小言を頂戴しているようだが、それも含めて寺井に対する快斗の信頼の度合いが窺える。快斗は人懐こいが、心から甘えを見せる人間は限られているのだ。代々の傳相を務めていた寺井は麒麟というものをよく承知していたし、寺井の温厚な人柄は快斗を安心させるのだろう。
 元秋官の新一はやはりその苛烈さをもったまま王となったし、情に厚いとはいえ服部は戦に赴く武将だ。そんな二人で常に快斗を取り囲んでしまうのはよくない気がした。
 もっとも、こうして快斗のほうからやってくる分には、新一にも咎める気などまったくないのだったが。



 服部は自分の腕から快斗を下ろし、椅子に座らせた。そこはいつも決まっている快斗の席だ。この四阿は三人で過ごす時間にも使われる。
 ちょこんと行儀よく椅子に腰かけた快斗に、今度は茶杯を手自ら渡してやる。本当にこの男は将軍職にあるとは思えないほど面倒見がいいのだ。
「ええ子にしとったか?」
 受け取った茶杯を両手で包み込むようにして傾け一口飲んだあと、快斗が頷く。
「うん」
「せやなあ。黒羽はなあ。悪さしとったんは工藤のほうやもんな」
「……しつけえな、てめえも」
 服部の含みのある言葉に、頬杖をついた新一がむっつりと返す。
 二人のやりとりの意味がわからず、快斗がきょとんとした表情で服部を見返した。
 そんな快斗に服部はひどく真摯な表情を向けて口にした。
「……身体、しんどないか?」
 一瞬の間のあと、すぐに悟った快斗の顔がさっと朱に染まる。
 呆れて新一が言った。
「お前、それ、どんな直球だよ」
「ええんや。黒羽にも相談できる相手が必要やろ」
 快斗は黙りこくって俯いている。服部は何も知らないと言うが、羞恥の感情はあるのだ。新一は確かに快斗をそういうふうに扱った。決して子どもを宥めすかすようには抱かなかったのだ。だから自覚がある。服部の短い問いの意味をすぐに悟ったのもそのせいだ。
 もう十三だ。十分に待った。新一に後悔はない。
 頬を染めたまま視線を落とす快斗の横顔を新一は静かに見つめる。
 一方の服部はそんな快斗の態度が予想外だったのか、少しうろたえたようだ。
「ああ、恥ずかしがることあらへんねんで? 悪いのはみーんな、あの大人げない大人やねんからな」
「悪いことなの……?」
 目線を上げて、不安げに問う快斗に服部がさらに慌てた。
「あ、いや、ちゃうねん。そういう意味やなくて……ッ」
「服部、失言だな」
 にやにやと笑う新一を服部がきっと睨みつける。
「おま、誰のせいやと……ッ」

「快斗」

 新一は席を立つと、快斗のそばへ歩み寄ってその顎を掬い、上向かせた。そしてそのまま、服部の見ている前で口づける。深くもないが浅くもない。それはまさに恋人に対するもので、服部はぽかんと見つめながらも顔が熱くなるのがわかった。そこにははっきりとした色香があった。
「俺はもう行く。快斗は残ってもう少し服部に話をしてもらえ。久しぶりだしな。――どうせまたすぐに忙しくなるぞ、こいつは」
 新一の最後の言葉に服部と同じように快斗がはっとした表情を見せた。
「新一、それって……」
「お前が案じることはない。今は、な」
 小さく笑って新一が背を向ける。
 それを見送る快斗の瞳がわずかに憂いを帯びている。そのさまがひどく大人っぽい風情を漂わせていて、服部は少し息を呑んだ。
 左軍将軍が多忙になる、その意味するところを服部と同じく快斗は理解しているのだ。
 そして麒麟の慈悲の心でそれを憂慮する。
 ただ本性で察して怯えているのとはわけが違う。快斗は状況を正しく理解し、それが政なのだと頭では受け入れた上で葛藤している。この国の宰輔の姿だった。
 新一が公私ともに決して快斗を子ども扱いしない理由がわかったような気がした。
 服部ももちろん公の場では快斗が一介の子どもなどではなく、国の要・麒麟であることは認識しているつもりだ。しかし、いかんせん目に映る幼さに情が引きずられて快斗を子ども扱いしてしまう節があるのは否めない。
「あ、あの、服部……」
 気まずそうにこちらを見る仕種はどうあっても幼いのだが。
 新一が去ってようやく他者の目の前で口づけられたことに思い至ったのだろう。
 居たたまれなくなったように椅子の上で快斗は小さくなっている。
 服部は苦笑し、そして心から自分にできることは力になってやろうと改めて思った。庇護者ではなく、また臣としてでもなく、ただ一人の友人として。






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前後ぶった切りですが、できあがった分だけ順次UPの形で気ままにやることにしました。わかりにくくてすみません。十二国記知らないとまずわからない。知っててもわからない。←(…) パラレルというより雰囲気だけいただいてきたというか。なんちゃって十二国記パラレルです。いっぱいいろいろ間違ってそうだ〜。
今回の主従モデルは戴国の泰王・泰麒です。でも国の気候は温帯のイメージなので(日本に近い)慶国かなあ。パラレルでだいぶ間借りしてるにも関わらず、お話以外の細かい設定とか決めるの苦手なので(…)とりあえず必要になった分だけそのとき考えようと思います。でもひとつだけ早々に決めたのが新一は蒼王で快斗は蒼麒。単純ですが、やっぱり新快カラーは「あお」だよなあということで。