傾城傾国





「信じらんねえ。オレあんときまだ十三だぜ、十三」
「そうだったっけか?」
 白々しく明後日の方向に目をやった新一を快斗は椅子に座ったまま呆れ顔で見やり、溜め息をついた。
 再び筆をとり書卓に向かい、快斗は続ける。
「右も左もわからぬ幼子にお前というやつは……蓬莱だったら犯罪だぜ」
「ここは俺の国だからな」
 するりと伸びてきた新一の指先に顎を掴まれ、上向かされる。今やほとんど身長差はないが、新一はこの所作をいまだ好む。
「あんときのお前、かわいかったな」
「………」
 快斗は無言のまま半目で新一を見返したが、新一は意に介したふうもなく、いやらしい笑みを浮かべるばかりだ。
「言われるままに脚開いて、泣いて、縋って、さ」
 顎にあった手がするりと首許へ移動してくる。鎖骨を辿り、衣服の中へ遠慮なく新一の指先が入り込む。
「どこでどう道を誤って、こんな生意気に育っちまったんだか」
 強引に前を肌蹴られて左胸の突起を摘み上げられた。抗わない姿勢は崩さずにいたが、それでも反射的に身は竦む。
「あんなにかわいらしく恥じらってたのに、今じゃすっかりスレちまって」
 今度は押し潰されるようにされて強い刺激を与えられる。思わず快斗は俯いた。
「……ッ…お前は、あんときから……ちっとも変わってねえよな」
「そうか?」
 新一が楽しそうな笑みを浮かべる。もちろん手は止めないままだ。
「昔っから変態で鬼畜でどーしよーもねえ」
「否定はしねえよ?」
「……ッ……」
 身体が跳ねた。
「声出しゃいいのに」
 新一の笑うような声音が快斗からひとつ冷静さを奪った。
 ムキになっては相手の思うつぼ、ここは素っ気なくやり過ごすに限る。そう思っているのに。
 快斗の内心の葛藤など知らぬふうで、新一が空いていた左手を伸ばしてくる。
 両腕で捕えられそうになったところで、初めて快斗はぴしゃりとその手を跳ね除けた。
 少し驚いた新一の顔。しかしどこか面白がっている。この男はまだまだ余裕だ。
「畏れながら主上」
 椅子から立ち上がって姿勢を正すと快斗はまっすぐに新一を見据える。
「なんだ?」
 快斗にあわせたように新一も王の態度で見返してくる。そんなさまは悠然として威厳があって、こんなときだというのにやはり快斗には自王が誇らしく、そんなふうに思う己も思わせる新一も憎らしかった。
「主上御自ら仁重殿にお越しいただき(呼んでねーけどな)、誠に勿体なきことではありますが、拙にはまだ公務が残っ……コラ!何しやがる!」
 新一にひょいと身体を抱え上げられ、書卓の前から引き剥がされると牀榻へ文字どおり快斗は放り込まれた。
「オレは仕事中だぞ!てめえは自分の宮に帰れっての。邪魔すんな!」
 先程とは打って変わり、王に向けたものとは到底思えない言葉の数々だが、快斗も必死だ。
 最初のうちは情に負けて流されていたが、そう何度も許すわけにはいかない。快斗には首都州侯としての仕事もあるのだ。
「よい。勅命ぞ」
「なにが勅命だ!ふざけんな!」
 のしかかってくる新一の両耳を掴んで押し返す。
 もっとも新一はそんな快斗の抵抗など少しも意に介していないようだった。軽く手を払われてしまっておしまいとなる。快斗は自身の非力さに歯噛みした。
「いまに国が傾くぞ、この愚帝!」
「傾国の美姫というのは耳にするが、傾国の麒麟というのは聞いたことがないな」
「歴代の王にそんな馬鹿者はいなかったってことだろが!離せ!」
「勅命だって言ってんだろ」
「こんなことに濫用すんな!」
 そうでなくとも――王に触れられて快斗の心も身体も無上の歓喜に満たされている。快斗は自らの本性を恨む。所詮、王たる新一に求められて拒めるはずがないのだ。
 ここのところ頻繁に新一は快斗を欲する。
 真昼間からわざわざ仁重殿を訪れて事に及ぼうとするなど今までにはなかったことだ。
 もともと無体ではあったが節度は保っていた。もちろん今も政務は確実にこなしている。非の打ち所がないくらいに。だからこそ気になる。
 いったいどうしたのだろうと、王の変調に快斗の胸をわずかな不安がよぎる。
 それを振り払うように快斗は最後の足掻きで新一を怒鳴りつけた。
「やめろってば!ほんとにまだ仕事終わってねえんだよ…ッ」
「野暮なこと言うな」
「今日こそ終わらせないと寺井ちゃ……令尹にまた文句言われるだろッ」
「言わせておけばいい」
「新一……ッ」
 強引な口付けに呼吸を奪われる。
 抗い難い幸福感に包まれ、もう駄目かも、と快斗が観念したそのときだった。

「お前ら……何やっとんねん……」

 服部が心底呆れた顔をして、そこに立っていた。







「だいたい快斗がこうもガサツに育っちまったのは服部、てめえのせいだぞ」
 茶杯を手に新一が服部を睨めつけてくる。
 房事に至るところを邪魔されたせいで王は機嫌が悪い。
 しかし、そんなことで服部が怯むはずもなかった。
「よう言うわ。純真無垢やった台輔に手ェ出したアホな王のせいやろ」
 やはりいつもの園林の四阿で三人は卓を囲むようにして座っていた。
 快斗は我関せずというように服部の持参した菓子に手を伸ばしている。
 市井で売っているような菓子はなかなか王宮にいては口にすることができない。珍しかろうと一度持ち帰ったのが悪かった。快斗がそれを欲しがって御忍びで下界に下りようとするので(寺井には何度もそれで叱られた)、見かねた服部は視察のついでに市場で求め、たまにこうして届けてやっている。もちろん天官たちには内緒である。もっとも幾人かにはすでに知られていて黙認してもらっている状態だ。快斗が子どもの頃から甘いものに目がないことは皆よく知っているのだ。
「王の暴虐に耐えかねて台輔も純真無垢なままではおれんかったってことやな」
「そうそう」
 快斗が他人事のように頷く。
 新一は面白くなさそうな顔で呟いた。
「いまだにそれを言うか」
「さっきもさ、その話してたんだよ。十三はねえだろってな」
「せやなあ」
 服部は苦笑した。
 今よりもっと見目も心も幼かった快斗を閨の相手にしてしまった新一を詰ったのが昨日のことのように思える。
 快斗はすでに成獣して外見は十七の頃で成長が止まっている。神籍の新一、仙籍の服部も同じような具合だ。三人並んであれこれ言い合っていれば、気心の知れた女御などには「まるで少学に通う学生諸子のようでいらっしゃいますわね」と微笑まれた。
「別に、だったら今は大人になったんだから、いいじゃねえか」
「大人になったって、昼夜ところ構わず発情していいなんて法はねえよ!」
 子どものような駄々をこねる新一に対して、快斗は快斗で噛みつくように言い返した。
「法って言ってもな。俺が王なんだからいいだろ」
「それがかつて秋官を務めた人間の吐く台詞か!王ならなおさら節度を持て!……って、おい、何触って……」
「服部の邪魔が入ったせいで成せなかったからな。勅命はいまだ有効だぜ、快斗」
「ばっ、馬鹿、離せって……コラ、服部!ぼんやり見てねえで助けろ!」
 四阿には三人だけ。
 護衛も側近くには控えていない。
 このまま服部が黙っていれば、新一は本当にここで続きを始めてしまいそうだった。それを察しているのか、助けを求める快斗の声は半分本気だ。
 しかし、服部は呆けたように、ばたばた暴れる快斗とそれを押さえつける新一の姿を見ていた。
「服部!」
 快斗の叫びに答えるように、服部の口から出たのは、しかし大きな溜め息だった。
「なんでなんやろなあ」
「服部……?」
「一歩、外殿に足踏み入れたら、お前ら、あんな完璧な主従ぶりやのになあ」
 はあと再び大きく溜め息をついて服部は肩を落とした。
 新一と快斗が並んで動きを止めてそのままの姿勢でこちらを見つめてくる。こういうところはなぜか息がぴったりなのだ、この二人は。
「お前ら、互いに顔似とるやろ?歳の頃も同じみたいに見えよるし。それがまるで天から遣わされた一対のようで美しい言うてなあ、ここまで絵になる主従は十二国一や、今までのどの朝にもこんな光り輝くような主従のお姿はなかった、ってな、垣間見た春官たちがえっらい感激しよるんよ。春官だけとちゃうで? 武骨な夏官の連中ですら思わず見惚れてまう、なんて言うんや。けど、お前らのこんな姿見たら……間違いなく泣き崩れよるな」
 新一が決まり悪そうな表情で、快斗の上から退き、姿勢を元に戻した。
「俺はそこまで言われるほど差はねえよ。快斗だろ、快斗。ここまで表と裏で違うなんて詐欺だな」
「なんとお人聞きの悪い。わたくしをそのようになさいましたのは主上ではありませぬか」
 凛とした気配と声。
 唇に浮かべられた薄い笑みは凄絶なまでに美しい。
 服部は唖然とそれを見る。見慣れているはずの新一も息を呑んだ。
「反則やわ……」
「だよな」
「一国の宰輔ならこんくらいの演出、当然だろ」
 元の砕けた口調に戻って、快斗が肩を竦める。
 先程のように菓子を指先で摘んで口許に運ぶ。子どものような仕種。
 そんな快斗を新一が斜め見る。
「よく言うぜ。都合のいいときだけ餓鬼の振りして女官たちから菓子やら何やらもらってるくせして」
 事実なのだろう、快斗が無言のまま悪戯っぽく笑う。
 その笑みがまた魅惑的で、いったい幾つの顔を持っているのだろう、この蓬莱生まれの麒麟は。
 服部は肩を竦めて呟いた。
「カワイコちゃんと麗人を巧みに使い分けとんねんもんなあ。末恐ろしわ」
「そのカワイコちゃんから左軍将軍にお願い」
 快斗がにっこりと一度、可憐に微笑んでから、菓子をひとつ摘んで身を乗り出す。
「服部、コレまた買ってきて!すっごく美味い!」
 そんなふうに瞳をきらきらさせる快斗は十三の頃から何も変わってなくて、服部は思わず笑ってしまった。
「はいはい。りょーかいや。ほんまに黒羽は甘いモン好っきゃなあ」
「餓鬼め……」
 苦々しく呟く新一に、服部はふふんと笑ってやった。
「その餓鬼に夢中なのは誰や、工藤?」
 新一が珍しくも服部を前にして言葉に詰まった。「さあな」とそれだけ返してそっぽ向く。
 服部は少し意外に思った。
 まるで拗ねた子どものような態度。
 どうやら機嫌の悪さは続いていて、快斗が菓子にばかり心を奪われているのがまた面白くないらしい。
 新一がこんなふうに無防備に感情をさらすことは滅多にない。

(甘えとるっちゅうわけか)

 幼いばかりだった快斗がこうして首都州侯を立派に務め上げるまでに成長し、国政もようやく落ち着きを見せ始めている。登極以来ずっと張り詰めていた気持ちが弛み、さしもの新一も疲れを隠せないのだろう。もちろん素直にそんな姿を見せる可愛げのある御仁ではないから、それは快斗への執着と形を変えて顕れるのだ。
 まったく――服部はやはり笑って、それから快斗に向き直って言った。
「黒羽。お前も少しは責任取ったれ」
「へ?」
 急に話の矛先が向いて快斗が目を丸くする。
「王を誘惑した責任や」
「ゆ、誘惑!? オレが!? いつ!?」
 心外極まりないという表情で、快斗が勢いのままに立ち上がった。服部も椅子から腰を上げて、まあまあと宥めるように快斗の両肩に手を置いた。
「主上がこんなありさまやと政務にも身が入らんやろ」
「ちょっと待て服部! 何、さりげなく席を外そうとしてんだよ!」
「仕事思い出したんや。いつまでもくっちゃべっとったら親父にどやされるわ」
「オレにだって仕事が!」
 必死の態で言い募る快斗に服部は笑顔を向けた。先程、服部に菓子をねだった快斗と同じ類の笑みを。
「ここで菓子食うとる余裕がありゃ大丈夫やろ。ちっとばっかし工藤に付きおうたり」
 いつでも自分の味方と思い込んでいた服部の急変に快斗は完全に意表を突かれたようで、何か言おうと口をぱくぱくさせているが声になっていない。
「ほなな、工藤」
 それまで服部と快斗のやりとりをどこか呆然とした表情で眺めていた新一に声をかける。
 服部の顔を見て新一はその含むところにすぐに気づいたようだ。
 苦虫を噛み潰したような顔をしてみせてから、参ったというように苦笑して軽く手を上げる。
「恩に着る」
「貸し一個やで」
「お、おいおいおい、ちょっと待て。なんだよ、その取り引きっぽい会話は!」
「すまんな黒羽。傾国の始末は己で取ったってな」
 あっさりと言い置いて服部は踵を返す。
「まだ傾いてないだろ……って、そうじゃなくて! ちょ、新一も!てめえ何さっそく触ってんだよ!馬鹿、脱がすな、こんなところで……ッ!」
 もしかしなくとも、さすがに外でそういったことに及ぶのは初めてに違いない。自分が来たことで窮地を救ったように見えて結果的には快斗を別の窮地に追いやってしまった。少々の責任を感じるものの、結局のところ新一のそばにいるのが快斗のしあわせでもあるというのは重々承知しているから、服部はよしとすることにした。


「服部の馬鹿ーッ! お前だけはこの国最後の良心だって信じてたのにーッ!」


 園林に響いた快斗の嘆きに服部は背を向けたまま笑って、ひとり呟いた。
「傾国にはまだ遠い、な」






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「莫逆の友」から数年後。同じ構図ですが、今度は服部が新一の味方です。最初は真面目にえろを書くつもりで始めたので冒頭にその名残が……。ほんと行き当たりばったりで書いてますな。勝手に脳内で新快+平が動くに任せているのでいつもこうです。よもや青○で終わることになるとは思いもせんかったぜ!蒼王と蒼麒なので調度いいか!(なんかいろいろ台無し)
主従モデルは延王・延麒。王に向かって遠慮なくずけずけと物を言います。このくらいがやっぱり書いてて楽しい。そして快斗は今回ちょっとキッドを意識してみました。気取った演技はお手のものです。