愛しき子らへ





 ここのホテルのベルマンはいい。
 私の連れがどのようであろうとも不躾に目を瞠ったりはしない。いつもと同じ態度で客を迎え入れる。その普遍性。それこそがサービスにおいてもっとも基本的で大切なことだ。
「急を言って申し訳なかったね」
「とんでもございません、工藤様」
「部屋は用意できているかね」
「はい」
 もちろんでございます、という顔をして微笑む。こちらも微笑み返す。予定調和の心地よさ。

 一方、私の連れは我々のお定まりのやりとりにも無関心、いや、注意を払う心の余裕がないようだった。
 流れゆく景色を見つめるようにどこか呆然とした表情のまま。
 普段、度胸はありすぎるほどで、それこそホテルなど場慣れしているだろうに、今夜ばかりはどうして、彼は所在なげに佇んでいた。
 もっとも、その出で立ちには相応しい態度とも言えたが。
 紳士淑女が行き交うホテルのロビーで、彼が纏う黒の詰襟の学生服はひどく浮いている。
 セーラー服でなくてよかった。さすがにそれはあまりにも外聞が悪かろう。

「来なさい」

 細い手首を掴む。
 彼は逆らわなかった。まるで連行されるように私に腕をとられて、おずおずとついてくる。
 廊下に敷き詰められた豪奢な絨毯に、彼の白いスニーカーが沈む。
 なんとも扇情的な光景だ。
 残酷さすら感じさせるアンバランスがそう見せるのか。



「ご覧。美しいものだ。もっとも月下を駆ける君には見慣れた光景だろうがね」
 高層階の窓のそばに立ち、光に煌く夜の街を見下ろす。
 彼は部屋のドアからほんの数歩離れた位置で動かずにいたままだった。
 賢い子だ。
 これから何が起ころうとしているか、もう勘づいている。
 私は窓際から離れ、ゆったりとベッドへ腰を下ろした。
 彼に視線を向ける。
「快斗君」
 びくりと肩が震えた。 
「そんなところに突っ立っていないで、中に入りなさい」
「あの……」
 彼らしくなく言い淀む。
「どうしたんだね? 来なさい」
 観念したのか、彼が無言のまま、歩みを進める。
 そうして私の前に立った彼の腕を引き、その華奢な身体を音もなくベッドへと沈めた。



「優作さん……」
 怯えた声。
 これが作ったものであるなら、演技力は藤峰有希子ばりだ。
 しかし生憎と彼の怯えは本物のようだった。
 もちろん、それはそれでたいへん趣がある。こちらの情欲をずいぶんとかきたててくれる。
 白いシーツの上に黒髪が散った。場にそぐわない、こちらも黒の学生服。
 白と黒。美しい対比。
 脱がせてしまうのが惜しいと思った。
 だからそのまま腰を抱いて髪に口づける。
 しかし子どもの恐慌はそれだけで十分に引き起こされたようだ。
「ゆ、優作さん…!優作さん……!」
 必死の呼びかけは涙声に変わった。
 おいおい、まだ早すぎるだろう。
 学生服の釦をいくつか外し、中のシャツのそれも外す。開いたところから手を差し入れて胸を撫でた。鎖骨に口づける。それにしても綺麗な肌だ。驚く。質感は申し分ない。
 薄い胸。鼓動が早鐘を打っている。そんなところも初心でけなげだった。
 突起を指先で捏ね上げると、途端に身体が跳ねた。これはまたずいぶんと敏感だ。
 感想を纏めながら、いつのまにか品定めを始めてしまった自分に内心で苦笑する。
 彼は抵抗もなく、ただひたすらに身を縮めていた。
「お願いです……やめてください……」
「代価を支払うのではなかったのかい?」
「………」
 いじめすぎたか。
 返す言葉のない彼は、やがて小さくすすり泣き始めた。
 自らの無力に泣く子ども。圧倒的な恐怖に怯えて泣く子ども。
 小さな子どものようになってしまった彼に、私にもようやくなけなしの良心が戻ってくる。
「私がこわいかい?」
「……こわい……」
 彼は素直に認めた。
 しかし同時に身体から力が抜ける。この短時間で彼は覚悟を決めてしまったようだ。
 震えながらも必死に現実を受け入れようとしている。
 それこそ、けなげな姿だった。
 彼はこうしてさまざまなものを呑み込み、自らのうちに取り込んできたのだろう。
 皮肉なものだ。
 彼の抜きん出た能力が、彼の強かさが、彼の潔さが、彼自身を追い詰めてゆく。


「目を開けて」
 おずおずと、私の言葉に彼が従う。
 泣きはらした目がこちらを見ている。
 本当にかわいい子なのだ。
 私は思った。
 ひとつ仮面を剥いでしまえば、そこに残されるのは素直で、いとけない子どもだ。同世代の少年よりむしろ彼はさらに幼く見えた。
 そしてまた、ひとつ気づいたことがある。
 彼は私のような壮年の男性にひどく弱いのではないか。
 でなければ、能力高い彼のこと、いくらなんでも私を跳ね除けているだろう。
 今の彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、私の言葉に逆らえない。がんじがらめにされているのだ。
 このまま彼を自分の絶対的な支配下に置く――それは実に魅惑的な企みではあったが、彼にはそれよりも別に与えたいものがあった。
「目を閉じて」
 また黙って従った。もはや懇願すら、ない。

 額へとキスをひとつ落とす。

 私にとってはおしまいの合図だったが、それを彼ははじまりのそれだと思ったらしい。
 すべてを受け入れる顔で、目尻からすっと涙がひとつ零れ落ちた。綺麗な涙だった。
 その頬に手をやって、撫ぜる。

「いい子だね、快斗君。続きは新一にやってもらいなさい」

 ゆっくりと瞼が持ち上がる。
 涙に濡れた大きな瞳。
 本当に綺麗だな。
 私は苦笑しそうになった。自分の理性の強固さに。

「しんいち……?」
「君のことが好きらしい。もし君も同じ気持ちなら応えてやってくれ」

 これは親からの控えめなお願いだった。
 無理強いはできない。
 もっともすべては本人たちの問題だったが。

「……しないの?」
 ぽつりと彼は言った。
「しないよ」
 微笑む。
 床に脚を下ろし、ベッドに腰掛けた姿勢で彼を見た。
 半身を起こしたものの、まだ信じられないというような顔をしている彼に笑いかけ、私は立ち上がった。備え付けのミニバーからミネラルウォーターをとってくる。キャップを外し、ボトルからグラスに注いで差し出した。
「飲みなさい。たくさん泣いたから喉が渇いたろう?」
「ありがとう、ございます……」
 律儀に礼を言って受け取る。しかしその手が震えている。
 仕方あるまい。――これは父性行為だ。先にそんな言い訳を内心で唱える。
 私は彼の手ごとグラスを掴んで自分の口許へ運んだ。口に含んで、そのまま彼に口づける。唇に触れたのは初めてだった。舌先で促すと彼はすぐに唇を開いて私を受け入れた。顎を掴んでやや上を向かせる。液体を注ぎ込む。喉が動いてゆっくりとそれを飲み干した。
「美味しいかい?」
「はい……」
 返事とともに小さく息を吐き出す。尖っていた肩に丸みが戻る。ようやく人心地ついたようだった。

「快斗君」
 改まった声を出し、その名を呼びかけた。
「ご覧のとおりだ。私は大人で君は子どもだ」
 彼が俯く。その横顔がまた泣きそうに歪む。
 私はゆっくりとその身体を引き寄せ、胸に抱きこんだ。
 先ほどとは違う、まったく色を感じさせない抱擁。
「対等な取引など必要ない。子どもは大人に甘えるものだよ」
 腕の中の細い身体が震え出す。今度は怯えではなく安堵。この子はずいぶんと長い間、我慢をしてきたようだった。
 かすかな嗚咽が洩れた。
 私は腕の力を強める。決して抱き潰してしまわぬよう、やさしく、けれど、離すことなくしっかりと。
「声を出してもかまわんよ。どうせ誰も聞いていやしない」



 嗚咽に揺れる背中をゆっくりとさすってやりながら、私は宙に目をこらした。
 そこにいるのかな。
 子煩悩な君のことだ。きっと今も見守っているだろう?



 思ったよりも自分の中の父性愛は強かったらしい。
 子どもが泣き疲れて眠るまで抱いていてやるなんて、何年ぶりのことだろう。


 窮屈そうだった学生服を脱がし、シャツ姿にさせてからベッドへと横たえる。
 彼は本当に疲れ果ててしまったようすで、深く寝入っている。
 目許がずいぶん赤くなってしまっていた。
 髪を梳く。
 柔らかな癖っ毛だ。
 面差しは少しばかり新一に似ているが、本質は対極にあるような二人だ。だからこそ惹かれあうのだろう。


 新一。
 杓子定規じゃ、彼は救えない。お前自身も救われない。



 もうそんなこと、敏いお前にはわかっているんだろう。
 これ以上、聡い彼を苦しませるんじゃないよ。



 ミニバーから今度は自分用のアルコールを取り出した。
 グラスを傾け、窓の外に広がる美しい夜景に目をやりながら、さて、次はどのように我が息子殿を懐柔しようかと、頭をめぐらせる。
 おせっかいは重々承知。


 君、そんな呆れた顔をするもんじゃないよ。
 私も君と同じで、大概、親バカなのだからね。






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この新快はまだエッチまではいたってませんな二人。淡い恋心程度。

快斗が予想よりかなり早い段階で泣き出しちゃって、えろくなりませんでした。もっと優作さんにはねちねちと虐めていただく予定だったのに……!「悪い子にはお仕置きだね」みたいな路線で!……無念です。
でも快斗を存分に泣かせた点では満足。優作さんによしよしってされる快斗が書きたかったのでした。





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