真夜中、繋いだ手。





 横でうなされる快斗の声で目が覚めた。



 意味を成さない呻きとも喘ぎともつかない声の中、わずかに拾えた言葉は謝罪のそれだった。
 誰に対してのものかはわからない、ただ譫言のように幾度も繰り返される。
 俺は仰向けの姿勢のまま、見慣れた自室の天井を睨みつけ、唇を噛み締めた。


 たぶん快斗と寝たことは、快斗に誰にも言えない秘密を増やし、さらなる罪悪感を抱くことを課しただけなのだろう。
 共有することで軽くなるようなものではない。
 むしろ、快斗の中では俺を巻き込んだということで、さらに重荷は増すのだ。
 それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
 快斗が欲しかった。

 
「ごめんな快斗……」
 呟きは真夜中の部屋に消える。


 俺は半身を起こし、サイドテーブルの明かりをつけると、依然うなされ続ける快斗のほうへ身体を向けた。
 髪へ頬へ首筋へ、触れる。そのまま、この年頃の男にしては華奢な肩へと手を置いた。
「快斗……」
 耳元へ囁き、身体を揺する。
 ここのところ、あまり眠れていないようだったから、本当は起こしたくなかったが、こんなふうにうなされているのならどのみち同じことだ。
 汗ばんだ額に触れたとき、快斗が目を覚ました。
「あ……」
 薄暗がりの中、快斗の瞳が俺の顔へと焦点を結んでゆくのがわかる。
「しんいち……」
 漏れ出た頼りない声に心臓を鷲掴みにされるような心地がした。
 思わず口づける。


 愛しい。守りたい。欲しい。離したくない。


 衝動的に身の内から溢れ出た想いをぶつけるように、快斗の口内を深く貪った。
 目を覚ますなり呼吸を奪うような口づけを受けて、それでも快斗は応えた。拙い動きで。
 いつでもこうして受容を見せる。初めて抱いたときから変わらない。
 いとおしさは募るばかりだ。


「ごめ……オレ、起こしちまった?」
 唇が離れて真っ先に快斗が見せたのは俺に対する気遣いで。
「それはこっちの台詞」
「……新一のは、起こしてくれたんだろ」
 快斗が苦笑する。
 本当に何でもわかってんだな、お前は。
「ちょっと身体起こせ、快斗」
「うん?」
 快斗が素直に従って起き上がる。俺はその快斗の枕を手にとって形を整えると、ぽんぽんと軽く叩いてみせた。
「獏にあげます。獏にあげます。獏にあげます。……よし!」
 例の呪文を三度唱えて完了。
「これでいいだろ」
 満足げに笑んだ俺に一瞬、ぽかんとした表情を見せたあと、快斗が声をたてて笑い出した。
「新一がそんなおまじない知ってたなんて意外」
「るせえよ」
「しかもやってみせてくれるなんて」
「お前、笑いすぎ」
「だってそんなの新一のキャラじゃねえよ」
「今度は獏のぬいぐるみでも買ってきて枕元においてやるよ。ドリームキャッチャーもいるか。あっちの窓辺に吊るしとこう」
「そんなの新一の部屋にあるの見たら帰国したとき優作さんも有希子さんもびっくりするって」
 快斗はまだ笑っている。
 自然な口調で親父たちの名前を口にする快斗に少しほっとした。





「ほら、寝るぞ」

 羽毛の掛け布団を引っ張って、横になるように促す。
 快斗は背中から思いっきりシーツにダイブする。スプリングが弾んでベッドが揺れた。余波で俺もいっしょに揺られるのをおかしそうに見ている。まるで子どもみたいな仕種だ。そこには、さっきまでの苛まれ苦悶に耐える姿は微塵も感じられなかった。相変わらず綺麗に隠す。だから、これまで気づかなかった。気づけなかった。

「コラ、暴れんじゃねえよ」
「新一んちのベッド好き。ふかふかだから」
「そういや昔っから泊りに来るたび、そんなこと言ってたな、お前」
「そうだっけ」
「あれから何度か買い換えてっけど。ずっと同じメーカーだからな」

 たわいない会話。
 けれど、これが何よりの安定剤なのだと俺は知っていた。これまで積み上げてきた日々から、これからも続いてゆく日常から、お前は切り離されてはいないのだと、実感させる。快斗があちら側に強く引っ張られないように、俺ができることはこんなことくらいしかなかった。

 快斗のせいでベッドからずれ落ちかけた布団を引き上げて、横になる。サイドテーブルの明かりに手を伸ばしかけたところで。

「新一、ありがと」

 目を伏せたまま、快斗が言った。
 柔らかな声だった。
 抱き寄せたかったけど、その体温に全身で触れれば間違いなく自分の中の欲を呼び覚ましてしまいそうで、俺は代わりに布団の中で快斗の掌を探り当て、指先を絡めるようにして繋いだ。
 我ながら拙くて、こっちのほうがよっぽど恥ずかしいと快斗の手を握ってから思う。
 だけど、快斗がそのとき、とても安らいだ表情を見せたから。
 これでいいんだと、繋いだ手を離さなかった。

 
 なあ、快斗。
 お前がそうやって笑うなら、安らかな寝顔を見せてくれるなら、まじないだって何だって、いくらでもやってみせんのにな。
 

 今夜はもう、うなされることはないだろう。
 けれど、きっと別の夜にまた、お前は得体の知れない何者かに責め立てられ、贖罪の言葉を口にしながら苦しむんだ。
 俺はそれを知ってて、何もできない。
 責め立てるのはお前自身だから。
 お前がお前を赦さないんだ、快斗。
 そんな潔癖さで、夜を駆け続ける。一方で、求める俺を拒み切れずに受け入れて。
 多くの矛盾と背徳を抱えながら、お前はその精神を保っていけるんだろうか。


 俺は不安になる。それは快斗を取り巻く危険や密事の露見に対するそれに比べれば漠としたものだが、はっきりと外郭を成さないだけに、形を変え色を変え、いくらでも心の隙に忍び込んでくる。
 俺は快斗の指先を握る掌に力を込めた。
 こうして手を繋がずにいられないのは俺のほうなのだ。
 不安でたまらない。

「新一……?」

 異変を感じ取った快斗が目を開けてこちらを見ているのがわかった。
「どうかした……?」
 控えめな声に首を振ってみせ、明かりを消す。
「いや、……なんでもね」

 再び闇に沈んだ部屋に沈黙が下りる。
 そんな中、今度は快斗が強く、俺の手を握り返してきた。
 もうそれだけで互いが何を考えているのかわかるような気がした。
 固く繋いだ掌。絡めた指先。
 俺たちはお互いがお互いを補い合って生きている。もうずっと物心ついた頃からそうしてきたんだ。
 今はもうすっかり色を変えてしまったこの関係だけれど――



 この手は、離さない。






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