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秋の夜長に長電話。 急に肌寒くなって人恋しくなるせいだろうか。 新一もオレも普段はそう長電話なほうじゃない。 長電話するくらいなら直接会いに行く、オレの場合は。 新一は最初からオレを自宅に呼びつける。 新一がオレの家に押しかけてくることやオレが新一をこちらに呼びつけることだけはない。 互いの性格上、そしてまた職業上、そうなったといっていいだろう。 本分はあくまで学生だから職業ではなく副業と称するべきなのかもしれないが。 ここ、江古田のオレの自宅には、そこそこできる探偵ならば一目で見破るであろう隠し部屋がある。だからといって話がそこから先に展開するかどうかは曖昧なところではあるが、なんとなくそこがまるで境界地のような存在となっているのは確かである。 オレたちにとっては米花町の幽霊屋敷、工藤邸だけが逢瀬の場だ。 そこを一歩出れば逢瀬は逢瀬とカウントされない。 それが暗黙の了解。互いの不文律。 だからこうして電話でだらだらとたわいない会話を続けるのは、かなり珍しいことといえた。 そして珍しさはそれだけで収まらなかったのだ。 「……やりてえな」 「は?」 今なんて言った? しかし反射とはいえ聞き返したのは大いなる誤りだった。聞こえなかったフリをするべきだったのだ。 「やりてえって言ったの」 ここでまたオレは間違いを繰り返す。思わず先を促してしまうという―― 「何を」 「セックス」 携帯を床に落としそうになった。 「お、おま、お前な!」 「ポーカーフェイスはどうしたよ。ああ、心配しなくても相手はオメーだぜ?」 なんの心配だ、なんの!とオレがツッコミを入れる間もなく、新一は流れるように語り続けた。 「お前のことベッドに押し倒して脱がせて縛って触って舐めて突っ込んで揺さぶって喘がせて啼かせてしがみつかせて泣き喚かせて、みてえなあって」 「切るぞ!」 どさくさに紛れてなにかとんでもないのも混ざっていた。いや、全部とんでもないけれど。 「このまま、しようか?」 「は?」 またうっかり聞き返してしまう。どうしても聞かなかったフリができない。電話というのは声だけで繋がるものなので逃れようがないのだ。 「興味ねえ?テレフォ」 「ない!」 直截な単語ばかり平気でずらずら並べる口を塞いでしまいたい。 だいたい名探偵には恥じらいってモンがなさすぎる。事件から情事まで、すべて明るみに出さなけりゃ気が済まないのか。せめて秘め事は秘め事らしく扱ってくれ。 「そう言うなよ」 あくまでマイペースな新一が笑う。 笑っているが、これはもう何かを決めてしまった空気だ。不穏なものを感じて、オレの背中に冷や汗が浮かぶ。 「快斗」 「やらねーって!やらねーぞ!だいたいできるか!そんなこと!オレを巻き込むな!」 「巻き込まないとできねーもん」 その拗ねたような可愛らしい口調はいったいなんだ。 「協力しろって。どうせ今晩だってひとりでするつもりだったんだろ」 さらりと新一が言った。オレはぐっと言葉に詰まる。 「……そりゃまあ。若いですから?」 なんとなく目線が明後日の方向を向く。こんなこと、今さら照れるような仲でもないんだが。 「なら二人でやっても同じことじゃん。新境地、味わえるかもよ?」 何が新境地だ、このエロ親父。 「お袋さん、今晩いないんだろ?」 よく御存知で。 看護婦である母は今夜、夜間勤務で家を空けている。 しかし。それは我が家の生計を支えてくださるためであって、息子がヨソの坊ちゃまと電話でナニする機会を与えるためではない。断じてない。 断じてないんだが……。 「怖えの?」 挑発するような響き。 薄っぺらい携帯の向こう側の、新一の笑っているだろう顔が目に浮かぶ。 オレは溜め息をついた。 こういう馬鹿みたいな見え見えの誘導にオレがほだされやすいのを新一は知っている。馬鹿らしければ馬鹿らしいほど付き合ってやりたくなってしまうのだ。新一もそれをわかっていて仕掛けてくる。 溜め息ひとつだけで了承を感じとった新一はもう何も言ってこない。 仰向いて、自室の天井を見上げた。 また一歩戻れない道に足を踏み入れてるんだろうなあとオレは思う。 腰掛けていたベッドから立ち上がって、壁のパネルにロールスクリーンを下ろして隠した。 まさか親父の前でこんなことできねえよ。 再びベッドへと戻り、呼びかける。 「もしもし」 「用意できたか?」 探偵殿はそんなオレの行動すら見透かしていたようだ。 「できましたよ」 「ずいぶん不機嫌そうだな」 新一が笑う。 「じゃ、まずはキスな」 要は想像力だ。 やるならやるで本気で全力でソノ気になってやる。 「目、閉じろよ?快斗」 耳元にかすかに湿った音。たぶん唇を舐めた。 言われたとおりに瞼を伏せて、新一から受けるキスを思い出す。 いつも仕掛けてくるのは唐突だ。性急に奥まで侵入してくる。新一の性格をよく反映していた。一度深く抉ってから、後は味わうように丹念に舌であちこちなぞって……。 「なあ」 ぱちりと目を開けた。目に入ってくるのは見慣れた天井。いつのまにかオレは自分でも気づかないうちにベッドに横になっていた。 「なんかヤバくない、これ」 「だから言ったろ?新境地だって」 声に笑いが含まれている。聞かなくとも、オレのささいな変化までお見通しらしい。 しかし、次の台詞にはさすがにぎくりとした。 「今のうちに羽織ってるパーカー脱いじまえ」 「え、なんでわかんの?」 「ん?」 「オレが今パーカー着てるって!」 「バーロォ、俺は探偵だぜ?」 「ンなこと知ってるよ!」 「最近少し肌寒くなってきたからな。けど、お前エアコン嫌いだし。その綿のパーカー気に入ってたしな、着心地いいって」 ちなみにオレが持っているパーカーはこれだけではない。しかし新一は完全にオレがどれを選んで着ているか把握しているのだ。探偵であるとかないとか、これには関係ない気がする。 「なあ新一、まさかとは思うけど、お前どっからかこっちのこと見えてたりしねえ……?」 「……なんの心配してんだよ」 「いや、よくあるオチじゃん? オレだけが乗せられて一人でさんざんアレなことし終わった頃に、見せてもらったぜ?とかゆって現れんの。ありそう!」 そして工藤新一ならやりかねないのだ。こいつはそういう男だ。 「残念ながら見えてねーし。自宅だよ。お前がこっそりそばにいるんじゃなけりゃあな」 「オレだって江古田の自宅だって!」 「なら俺たち二人の距離は直線にしてきっかり十キロメートルだな」 「十キロか……」 遠くはない。けれど近くもない。きりのいい数字のわりには、なんだか中途半端だ。 「飛んだらどのくれえかかる?」 唐突に新一がそんなことを言う。 法度すれすれだが、最近、新一は自ら、この手のことを口にする機会が多くなった。 暗黙の了解はどうした名探偵。 しかし、この場合しらばっくれるほうがよろしくない選択だというのはオレにもわかっているので、やはり何でもないふりで答える。 「さあね、風向きにもよるよ。当たり前だけど。つか、オレに聞かなくてもそんくらい計算できんだろ、お前なら」「まあな」 新一が苦笑したようだった。 オレの苛立ちを感じ取ったのかもしれない。 気を取り直すように新一が口にした。 「次は中に着てる紺のTシャツ。背中に白地で英語のロゴ入ったやつな」 「だ・か・ら、なんでわかるんだよ!」 お前怖すぎるんだよ、とぶつぶつ呟きながら指示どおりパーカーを片手だけで脱ぎ捨てる。Tシャツに手をかけたところで不意に新一が言った。 「わかるよ」 直接、腰にくる声だった。情事のときを思わせる掠れた熱っぽいそれ。 「お前のことならなんでもな」 「やめろって……」 新一の低い声に耳を塞いでしまいたくなるのに、それができない。 「Tシャツは脱がなくていいぜ? 寒いだろ、まだ」 意味深な台詞。 すでにオレの身体は熱くなり始めていた。なんてお手軽。自嘲しながらTシャツの裾を掴み締める。 「手、中に入れて。撫で上げてみな」 言われたとおりに指先が這い上がってゆく。新一のそれと同じように冷えた自分の指先が、新一の動きをトレースする。こんなことにもオレは持ち前の器用さを発揮してしまうのだ。寸分違わず再現して、耳元には工藤の声。 さっきのキスどころの騒ぎじゃなかった。 自分の手とはいえ、触れるところに触れれば感じる。それが新一のものだと錯覚すればなおさらだ。 堪えきれずに息を洩らす。 「ほんとにお前、感じやすいよな」 「誰のせいだと……」 「まだまだ本番はこれからだぜ?」 楽しげな新一の声が次の指令を下す。 「下がまだだもんな。――ジーンズの釦を外せ」 「……お前も脱げよ?」 「わあってるって」 本当だろうか。しかしオレに新一を脱がせるスキルはない。言われたとおりに釦に手をかける。それを見計らったように新一が言った。 「そのままジッパー下げて」 はいはい、もう何でも仰るとおりにいたしますよ。 「あ、待て快斗」 唐突に制止をかけるから、焦らされるのか思えば。 「音、聞かせろよ」 「な……ッ」 「聞かせろ」 この有無を言わせない命令口調にオレがとことん弱いことも、もちろん新一は知っている。 もうこれ以上赤くなることはないと思っていた自分の顔がさらなる羞恥で染まったのを自覚した。せめてもの救いはそれを誰にも見られなかったことだ。 「くそっ……このヘンタイ……!」 悔し紛れに罵ったら、新一が笑った。 「上等」 すでに自分も普通ではなくなっている。 そもそも新一の声に抗えたことなどないのだ。 躊躇いながら、それでも指示どおりに携帯を近づける。 なんて間抜けな格好だろう。なにをやってんだ、オレは。 泣きたくなってくるが、それでも逆らえない。 くそっ、せいぜい、この音聞いて興奮しやがれ。 ジーンズの釦を外し、ジッパーを下げる。静まり返った部屋にそれはことのほか響いて、オレをいたたまれない気持ちにさせた。 再び、携帯を耳にあてる。 「……聞、こえた?」 「ああ」 短い答えに、新一も衝動を堪えているのが伝わってきた。 オレばっかりがソノ気にさせられてるわけではなさそうで、少しほっとする。 もう――あとはなし崩しもいいところだ。 いつもなら空いた手の指先を噛んで堪える声も、今日は両の手とも自由にならないために叶わない。 右手は新一の指示を受けるために携帯電話を握り締め、左手は新一に与えられた言葉を忠実に再現するのに忙しい。 「は…ッ……ン……」 弄るようだったり、不意にやさしかったり。いつも散々に翻弄される。器用なオレの指先はここへ来てもやっぱりそれらを見事なまでに正確に甦らせていた。 「しんいち……ッ」 携帯電話を落としそうになる。 まるでそれを見越したように新一の笑った声がした。 「ケータイ落とすなよ?」 「…ンなこと言ったって……ッ」 かなり追い詰められていた。限界が近い。 「感じてる?」 「も、だめ……」 「俺がいいって言うまでそのまま」 「……ッ」 愕然としたが、指先は指示通り動きを止めた。 「快斗」 「ま、だ……?」 「まだ」 「しん、い……ち……!」 オレも大概のせられやすい。完全に自分の指が新一のそれに思えていた。縛めているのは新一だ。泣きたかった。 「おねが……だか、ら……ッ」 ベッドで哀願するときと同じ台詞を唇にのせる。 正気じゃない。頭の片隅で理解はしているが、どうにも止められなかった。 新一の目の前にも乱れるオレが見えてたりするんだろうか。 「もう我慢できねえの?仕方ねえな」 楽しそうに揶揄する声。 新一の酷薄な笑みが想像できて、ひどく煽られた。 「いいぜ」 新一の許可でイッてしまうのは、もう条件反射みたいなものだ。 それでも敗北感と屈辱感はきっちり訪れる。 それがまた我が身を明け渡した快感に繋がるのだから、もうどうしようもない。 被虐趣味でもあるんだろうか。自分の隠れた性癖を疑ってしまう。 荒い呼吸が整ってきた頃、新一が言った。 「いい声だったな」 「……お気に召しましたか」 「ああ、よかったぜ」 「お前もちゃんとイけた?」 「ああ」 それを聞いて、なんとなくほっとしてしまう。 自分ばっかり醜態をさらしたことよりも、新一を置いていくことが嫌なのだ。それはつまらない。共有感がなければこんなこと、虚しいばっかりだ。それは生身だって電話越しだって変わらない。 「オレもこうしてヘンタイの仲間入りをしていくわけね……」 ぐったりと四肢をベッドに預けてオレは天井を見上げる。携帯は耳と肩の間に挟む。いい加減、持っているのがつらい。 「こんくらい普通だろ」 「いや、僕たちまだ高校生だし。男同士だし」 探偵と怪盗だし、と残りは心の中で呟く。世界広しといえど、こんな破廉恥な関係を築いた探偵と怪盗はいやしないだろう。破廉恥。自分で考えてとっぷり落ち込んだ。 しかし、こんなときばかり探偵殿はこちらの事情を察しようとしない。 「やっぱ、だめだな。物足んねえ」 さんざん堪能したように見えてこんな台詞を吐く。しかし、オレも同じ気持ちだったのだ。 「不本意ながら同意」 「やっぱりお前も直接突っ込まれたいと」 「……お前がそういうふうにしたんだろ、オレを。……くそったれ」 気怠い身体がオレを正直にさせていた。 「認めんのか」 なぜか少し寂しそうな気配を漂わせて新一が笑う。 オレが反駁しないのがつまらないのかもしれない。それとも―― 「なあ、快斗」 「ん?」 「今すぐ飛んでこいよ」 まだ言うか、この男。今日は本当に自制の欠片もない。 「馬鹿言うな」 「来いって」 「お前こそ。スケボー転がして来い」 オレも自ら進んで法度破りに出てみた。なんだか何もかもがどうでもいい気分。妙な開放感があった。 「はあ?」 新一は意表を突かれたようだった。オレは少し笑った。 「あれ馬鹿みてえに早かったじゃん」 「馬鹿みたいは余計だ……」 「もう使わねえの?」 「使わない」 むっつりとして新一が言う。あれらの過去は新一にとって今でも屈辱の歴史らしい。そんなこと思ってるの、新一だけだと思うけど。 「じゃあ、電車乗って来てよ。まだ終電あるだろ」 「え……」 「工藤新一氏に夜這いを許可します。江古田駅まで迎えに行くから。オレんち泊まれ。歯ブラシとパジャマは持参な」 「快……」 「たまにはお前が通ってこいよ、旦那様」 不本意な台詞ではあるけれど、それでも新一がどこか呆然としているのがおかしくて、オレは上機嫌にそう告げた。 「いいの?」 「いいよ?」 不安そうな新一の声にオレはやさしく答える。 こういうときの新一は可愛くて可愛くて抱き締めてやりたいくらい。だから、早く来いって。 「急にどうして……」 「さあてね。電話だけじゃ物足りなくなったんだろ」 「けど、快……」 まだ何か言い募ろうとする新一に少しだけ苛ついて、オレは遮るよう口にした。 「ほら、早くしねえと終電なくなるぜ。こんなことでタクシー使うなよ、お坊ちゃま」 「いいんだな?」 「しつこい」 「―――」 新一が立ち上がったのがわかった。片手で自室の窓を閉めて、椅子の背にかけてあった上着を掴み取り、キーケースと財布をポケットに突っ込む。なるほど、すべて目に見えるよう。主とともに移動する携帯電話はなかなか偉大だ。さまざまな音を拾い上げる。ジッパーを下ろす音以外にも。 「新一。歯ブラシとパジャマ」 「わあってる」 「ハーゲンダッツのクッキー&クリーム」 「江古田のコンビニで買ってやる」 口笛を鳴らした。 「じゃ、な」 「駅着いたら電話しろよ?」 「ああ」 それを合図としたように二人同時に電話を切る。 オレはそのまま携帯を閉じた。 いつもなら確かめるディスプレイの表示には目もくれない。 なんたってあと数十分もすれば、時間なんて気にせずに思う存分、愛を確かめ合えるんだから。 なんてね。 |
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