未熟者同士の恋





 快斗の髪を弄ぶように梳りながら俺は言った。快斗は俺に触れられることを拒まない。

「お前さ、なんか複雑な表情、してたよな。あんとき」
「ん、なに?」

 快斗が上目遣いでこちらを見やる。位置関係はソファの上(俺)と床の上(快斗)だ。快斗は常日頃から、あまり直接ソファに座りたがらず床に腰を落ち着けてソファを背もたれがわりにする癖がある。俺もそのほうが快斗の髪を弄りやすいので異論はない。
 ただいま二人で眺めているテレビでは『世紀の大犯罪スペシャル』と銘打たれた番組が放送されており、日本の代表的な大泥棒・現代パートでちょうど怪盗キッドの映像が流れていた。最も使われているフィルムはパープルネイル事件のものだ。テレビ局が撮影し放題だったんだから素材には困らないだろうな、確かに。

「なんの話?」
「この事件。俺が白い格好の利点について指摘したときだよ」

 怪盗キッドとの邂逅の場は何度かあったが、交わした会話はそう多くもない。どれもこれも細部まで印象に残っている。それは快斗も同じだろう。

「あー、あんとき?」

 間延びしたような声で応えが返ってくる。快斗の視線はもうテレビ画面に戻っていた。俺からは快斗の旋毛しか見えない。

「……ポーカーフェイス、崩したろ?」

 俺は髪を梳る手を止めて、代わりに指先を快斗の首筋に滑らせていた。正しくは頚動脈に指の腹を当てていた。これでも拒まないのだから快斗の姿勢は徹底している。
「あれは名探偵にみごと図星を言い当てられて悔しかっただけ〜、ですけど?」
 快斗の脈拍は変わらない。まあ、このくらいはお手のものだろう。
「だったらなおさらおかしいぜ。お前がそんな感情、素直に表に出すわけねーだろ」
「そうでもねえよ。オレ、けっこう素直だもん」

 違う。
 俺は真実を言い当てたんじゃない。むしろ、その逆。
 あのときのお前の目、あれは「違う」と訴えていた。何かを。

 隠れやすいからとか目眩しになるからとか、そんな表面的な理由じゃない、もっと根源的な何かが快斗にあの衣装を選ばせてるのではないかと――俺は薄々気づいていながら、しかし明確な答えを導き出せていない。
 俺は自らの手で探り出したくないのだ。探偵であるこの俺が。
 快斗がこうして身体的接触を赦すように、心も――その精神に触れられても拒まなくなるときを俺は待っている。
 自分がこんなに辛抱強い男だったというのは我ながら意外だ。

 しかし、あまりに平淡とした快斗の態度には思わずぼやきも出るというものだ。
「……どこの誰が素直だって」
 それを耳聡く聞きつけたらしい。
 快斗が急に起き上がり、身体を反転させてテレビに背を向けると、膝をソファへと乗り上げてきた。今度は俺が見下ろされる形になる。
「あんなあ」
 快斗に鼻を摘まれた。コラよせ、と振り払う俺の手から軽く身体を避けて、快斗は呆れた笑みを浮かべる。
「何でも自分を基準に考えるんじゃねーよ、工藤」
「どういう意味だ」
「誰も彼もお前みたく捻くれてるってわけじゃねえんだぜ? オレはお前と違って素直なの」
 ガキに言い含めるような口調にムッときて、俺は幼稚な反撃に出た。
「つまり『ポーカーフェイスもできない未熟者』って、テメエで認めるわけだな」
 意地悪く皮肉げな笑みを口許に浮かべてみせたが、快斗はきょとんとしている。と、思ったら。
「うん。未熟、未熟」
 快斗はふわふわと笑った。まだまだ子どもだと言われて怒るどころか嬉しそうにしている。
「……素直じゃねえか」
「言ったろ? オレは素直なんだって」
 にこりと快斗が微笑む。
「工藤の前では白状するよ。怪盗キッドはまだまだ発展途上、完璧には程遠いってこと」
 快斗はなぜだかずっと嬉しそうだった。遠く夢見るような表情にも見えた。柔らかな瞳と声。たまに快斗が見せるそれは、俺をいつももどかしい気持ちにさせる。
「怪盗業に発展も完璧もあるかよ」
 わざと煽るようなことを言って毒づいてみせるが、快斗は小さく笑っただけだった。
「オレも工藤と同じでまだまだヒヨッコってことだな」
「俺を引き合いに出すんじゃねえ!」
 思いきり眉を寄せて叫ぶと、快斗は本当におかしそうに今度は声に出して笑った。
 そして急にガラリと気配を変えてみせるのだ。
 互いの他に誰もいないと知りながら、まるで辺りを憚るような顰めた低い声を俺の耳元に落として。
「未熟者同士、いかがです?今宵」
「おま……、このタイミングで誘うとかありえなくねえ?」
 眩暈を堪えるように額に手をやる。呆れた態度の真相は快斗の艶かしい表情から逃れるためだった。落ち着け俺。
「いかんせん未熟者ですので」
 俺だって未熟者だ。
 心に触れたいと願いながら、俺は差し出された誘惑へと、こうして安易に手を伸ばす。












 
「ほんと…、お前は目敏くて参るよ名探偵……」

 苦しげな息をこぼしながら、どこか困ったように微笑んで、そんな台詞を吐かれても、俺に返せる言葉がないなんてことはお前だって十分承知のはずだろうに。
 返事の代わりに強く押し入って抱き締めたら、ほとんど悲鳴のような喘ぎ声が上がる。快楽よりまだ苦痛のほうが勝っているとわかってしまう音だ。それでも俺の独り善がりでないならば、それを発した快斗の口許には満たされた笑みが浮かんでいたように思えた。






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