「呆れた、誠二。それで三上先輩に入れてきてもらったの」
「うん」
 授業が終わっても雨はやまず、それどころか一層激しくなっていた。
 今日の練習は第二体育館だよ、と伝えに来てくれた笠井の傘にちゃっかりおさまって藤代は頷く。傘を差すのは笠井だ。本当は彼より背の高い自分が差した方がいいんだろうなと思いながら藤代は笠井の好意に甘える。

『入れてってよ』

 確かに笠井にはすんなりそう言えるなァと思う。

『入れてって下さいよ』

 うん。渋沢キャプテンにも言えそうだ。



 三上には。



「誠二、聞いてる?」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
 正直に申告すると笠井が呆れた顔をした。
「どうしたんだよ、ぼんやりして」
「うん」
 見上げてくる笠井に藤代はにこりと笑ってみせた。



 三上には、言えない時がある。









rainy
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「うひー遅刻する〜」

 バタバタと階段を駆け下りて飛び出そうとした寮の玄関。
 藤代はそこに立つ見覚えのある背中を目にして、ふと立ち止まった。


 三上だった。


 一人でいる。珍しい。いつもは渋沢と肩を並べて学校へ向かうのに。
 なんだか寂しそうに見えた。
 本当は絶対にそんなことはないとわかっている。
 でも三上は時々その佇まいに寂しさをひそませる。


 今、話しかけたらダメなんじゃないかって。
 

 厄介ごとに巻き込まれたくないという気持ちと、触れたら拒絶されるんじゃないかという想像が、藤代の口を閉じさせる。
 何も恐れない。他人の思惑など無関係。そんな傲慢で奔放な性格が三上の前でだけ引っ込んでしまう。弱気にさせられる。冗談の場ではなく、今のような三上に拒まれることは思いのほか痛手を受けるのだ。藤代とて無用の怪我はしたくない。
 しかし三上はこれ以上引き延ばせば遅刻ぎりぎりの時間であるにもかかわらず、空をわずかに見上げたままその場を動こうとしなかった。
 他の寮生はまわりに誰ひとりとしていない。知らない振りで出ていくのは難しいと思われた。
 藤代は意を決して三上の隣りに並んだ。

「うわッ、さっきまで降ってなかったのにー!傘持ってきてないッつーの」

 わざとらしいかな、と思いながら雨が降ってきたのは本当に予想外だったので空を見上げて藤代は言った。
 三上がぱっと振り返ってこちらを見る。藤代の存在には気づいていなかったようだ。

「すげー降ってる」

 三上の視線を感じる。

「やまないかなー」

 物言いたげな、そんな視線を。

「部屋まで取りに戻ればいいだろ。傘」
 ようやくいつもの三上の声がして藤代は安心した。考えすぎだったようだ。三上の姿にいつも憂いの陰を勝手に認めてしまうのは自分の悪い癖だ。
「んなことしてたら遅刻しちゃいますモン」
 藤代も明るくカラリと答えてみせて。
「もういいや。このまま走って……」
 いつもの調子で走って行こうとしたら不意に腕を掴まれた。
「バカ。いくらオマエの脚でも校舎に辿りつく頃にはズブ濡れになるだろが」
「入れてくれるんスか?」
 仏頂面でそう言って傘を差し出してくる三上に藤代は驚いてみせながら、内心で微笑みたい気持ちになった。三上がやさしい。その思いは先程まで拒絶の不安に揺れていた藤代の心にやわらかく染み渡った。








「キャプテンはどしたんです?」
「……なんかクラスの出し物の朝錬だと」
 三上がぼそぼそと答える。表情は優れなかったが、もともと三上は朝に弱いのだ。藤代はもう気にしなかった。
「おお、文化祭!」
 調子にのって傘を揺らしてしまった藤代に三上から苦情の声。
「おい!テメ…ッ、かかったじゃねえか!」
「だって先輩、もっとこっちに寄ってくれなきゃー」
 そんなやりとりも楽しくて藤代は笑いながら、やはり調子にのって三上の肩を抱いてみた。
 身体的接触、成功。
 三上は大人しく藤代に肩を抱かれている。
「こうしてるとなんかラブラブカップルみたいッスね」
「くだらねえこと言ってないで離せ」
 顔をそむけて吐き捨てるみたいに言う。こういう態度は逆に気にならないのだ。むしろいい傾向だった。
「離したら濡れちゃうでしょ」
「じゃテメエがもっとあっち行け」


「二人が雨に濡れないためには、こうしてくっついてるのがいいんです」

 言葉遊びの延長で藤代は言った。ありきたりの言葉に暗喩をひそませ、それなりに心を込めて。


 それがどう響いたのか。

「…………そうか?」

 急に三上がすっと表情を固くする。今の発言の何かが三上の中の地雷を踏んだというのは素早く悟ったが、理由はさっぱりわからなかった。
「三上先輩?」
「傘がもう一本あれば済むことなんじゃねえ?」
「―――」
「そしたら別々に――オマエも好きなトコに行けるだろ」
 その言葉は、藤代の暗喩をちゃんと三上が受け取った証拠だった。
 けれど受け取った上での悲しい返答だ。

「どうして」

 いつもそうやってこの人は。


 何もかもをなかったことにしようとするんだ。




 藤代といっしょにいる時の三上は、いつも藤代との関係を切りたがっているように見えた。そして実際そのとおりなのだろうと藤代は思う。


 ――三上先輩の意気地なし。


 腹が立つ、それと同時にそんな三上だから惹かれてたまらないのだろうと自分自身を理解もする。


 寂しく、ひとりになりたがる三上。
 その不安定な在りようが魅力だ。理解できない。わからないから気になる。わざとやっているのか、無意識なのか、それすらもわからない。ただ、いつも藤代を焦るような気持ちにさせる。その手を、その腕を。しっかり掴んでいなくてはと。


「そんな寂しいこと言わないでくださいよ」
「最初に走っていこうとしたのは誰だよ」
 意外な言葉だった。
 そして次に「ははあ、それで」と藤代は納得する。
「すねてんの?」
「別に」
「でもオレはー、三上先輩がオレを自分の傘に入れてくれて嬉しかったよ?」
 藤代は自分の素直な気持ちを告げた。比喩は続いている。三上は確かにあの時、藤代に傘を差し出してくれたのだ、並んで歩いていこうと。
 なのに今、三上は皮肉な笑みを浮かべるばかりで――
「雨がしのげるなら誰の傘でもよかったんだろ」
「……そんなことないですよ」
 なんなんだ、今日はいったい。
 こういう時の三上の扱いを間違えると難儀なのは承知していたが、承知しているだけでどうしようもなかった。自分は渋沢じゃない。
「例えばさっき寮の玄関に笠井と渋沢と俺がいたら、お前誰の傘に入る?」
「はァ?」 
「誰の傘に入れてくれって頼む?笠井か?それとも渋沢か?」
「何言ってんですかアンタ」
 畳み掛けるように紡がれる言葉には、わからない振りを決め込むのがいちばんいい。
 実際――三上の言葉の意図はわからなかったし。
「何言ってんだろな」
 俯いた三上の顔を藤代は盗み見る。
 口の端で小さく笑む、こんな時の三上には本当に手が出せない。遠い。





 いつもそんな顔して。



 何考えてんデスか。





















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