「こうして来ちまった以上、今さら言っても仕方ねえけど」


 持参した荷を広げる藤代の頭上で三上が何度目かの大きな溜め息をついた。
「お前な。なんで、あんなふうに物事を急に決めたりすんだよ」
「即決はFWの必須条件ですもん」
「即決っていうよりお前、人生すべて反射で動いてんじゃねえか」
「うんうん、そうそう反射人生なんですよ」
「自分で言うなよな……」
 額に手をやって頭を抱える三上を見上げて、藤代はにかっと笑んでみせる。


「で、ホンットに荷物これだけ?」
 心底呆れたという顔で、三上が畳の上に並べられた藤代の持ち物を見下ろしている。
 ほぼスポーツバック二つに入れてきた私物は確かに少ないのかもしれないが。
「練習着とかスパイクとかはみんなクラブハウスのロッカーに置いてありますもん。パンツと普段着だけあれば十分でしょ」
 あとゲーム機と、そう言ってカバンから機体を取り出した藤代を、三上が「まだやってんのか」とさらに呆れたように見る。
「でもお前、昔は死ぬほど服持ってたじゃねーか」
「あ、アレはゼンブ実家に送りました」
「でも最近のは……」
「それも寮出るとき実家に」
「じゃ何着るんだよ」
「またこれから買うからいいんでーす」
「フーン。……金貰ってサッカーしてるヤツは違うねェ」
 そう言って口の端で笑う三上を、見上げて。
「じゃあ三上先輩にもなんか買ってあげますよ。えへへ、何がいい?」
「いらねーよ。……ったくお前には皮肉も通じねえもんな」
 三上が苦笑して藤代の頭をポンポンと軽く叩いた。
 それがなんだかとても愛に満ちた仕種に感じられて、藤代はうれしくなってしまう。
「んじゃ、そろそろメシの仕度するか。三人分だかんなー。タイヘンだぜ」
 ブツブツそんな独り言を言いながら、台所へと向かった三上を追って。
「みっかみセンパイ♪」
 シンクの前に立ったその背中に頬擦りすると、三上の背がビクンと揺れた。
「な、何すんだよ……ッ」
 心なしか頬が赤く染まっている三上に向かって、藤代はにっこり笑って言う。
「俺をココに置いてくれてアリガトウゴザイマス」
「………礼なら間宮に言えよ」
「うん。でも三上先輩にもね。――オレ、うれしかったから」
「何が」
「ムチャ言ったのに結局はこうして許してくれたでしょ」
「無茶を言った自覚はあるんだな」
 腕を組んで半眼でこちらを見てくる三上に藤代はやっぱり笑ってみせた。


 台所の小さな窓から差し込んだ西日があたって、三上の輪郭がオレンジ色に光っていた。
 なんだか少し、懐かしい風景。
 藤代はあの頃、夕陽に映える三上の姿がいちばん好きだった……。


「明日になったら、大家さんに挨拶に行くからな」
 三上の声に藤代は過去に飛んでいた意識を引き戻す。
「え?なんで?」
「勝手に同居人、増やすわけにいかねーだろ。本来は事前相談の上、入居審査して然るべきなんだが……。間宮のときも快く了承してくれたし、気安い人だからたぶん大丈夫だろ」
「へえ。そういうもんなんスか」
「――まあ、審査に受からなかったときは潔く諦めてくれよな」
 にやっと笑って、三上が意地悪く言う。
「なッ……落ちるわけないじゃないスか!バリバリ就職してるし、怪しいところなんてこれっぽっちもないし!精錬潔白藤代誠二君ですよ!?」
「その微妙にトンチキな言動がやばい」
「間宮が受かってオレが落ちるなんてありえない!」
「間宮はウケがいいんだぞ。大家さんと同郷らしくて話が弾んでた」
「あの間宮と話が弾む……!」

 ――もしかすると手強いかもしれない……こんなところに最後の障害があったとは……不覚!

 にわかに不安になった藤代のようすに三上は気づいたのか、笑いながら言った。
「平気だって。ここの大家さんは女手ひとつで息子三人を育て上げたっていう肝っ玉母さんだぜ。俺たちくらいの年頃の男は扱い慣れてるから。今さら一人や二人増えたところで目くじらたてる人じゃねえよ」
「寮母さんみたいッスね」
「あー、そうそう。そんな感じ」
 三上は頷いて。
「それにお前は不思議と誰からも好かれるしな。たぶん大家さんもお前のこと気にいると思う」
 三上のそれが自然に出てきた言葉だというのはわかった。

『藤代は誰とでもすぐ打ち解けるよな』

 小さな頃からそう言われて育ってきた。
 自覚もしている。
 だけど、今、三上の口から聞く言葉がこんなに嬉しいなんて。

 ――もう、完全にマイッちゃってるよなあオレ、このひとに。

 今まで会えなかった時間までをも取り戻す勢いで一分一秒ごとに三上への想いが膨らんでゆく。

 ――どうしてニ年間も離れてて平気だったんだろ。

 思わず三上をじっと見つめてしまう。

 ――わかってんのかな、このひとは。

「さてと、メシメシ。早く支度しねえと間宮が帰ってくるしな」
 当然ながら藤代の気持ちになど気づきもしていない三上の態度に、藤代は唇を尖らせた。
「間宮のメシくらい待たしときゃいいんですよ……」

 ――間宮間宮って。あんたは間宮の奥さんですか。

 今はせっかく二人だけでいるのに、間宮の名前が頻繁に会話に出てくることが、藤代には面白くない。
「そういうわけにはいかねえだろ。あいつも腹すかせて帰ってくんだし。あ、あと藤代」
「なんスか?」
「食事当番は交代制だぞ。お前も平等に扱うからな」
「うん。それはもちろん」
「……と言いたいところだが、間宮と協議した結果、お前は食事当番からは外すことにした」
「え、なんで?」
「本当に家賃半分入れてもらったしな。それくらいの優遇措置はないと……」
「ああ、そんなこと」
 藤代が提示した条件で承諾した間宮は4分の1としても、残りは俺とお前で折半すればいいという三上の申し出を藤代は固く辞退したのだった。
 もともと二人暮らしで定員と言ってもいいこの部屋に強引に転がり込んできたのは自分だし、収入を得ている藤代にとって本当に負担になる額ではなかったからだ。
「別にいいのに」
「いや、……本当は家賃も平等に割るべきだと思ってるんだけどな……」
「先輩、律儀ですよねえ。ま、料理は正直まっっったくできませんから、ありがたいっスけどね」
「ああ、そのへんも見越した上で決めた……」
「やっぱり?」
「お前に厨房を任せるなんてそんな自らの死期を早めるようなこと」
「あはは。そうですね」
「少しは反論してくれ……。――お前、結婚するときは料理上手な嫁もらえよ? プロは身体が資本なんだし」
「―――」
 話の流れで口にした世間話みたいなものだとはわかっていた。
 先ほどのように何気ない三上の言葉。
 だが、今度はそれが藤代の表情を強張らせる。 
「藤代?」
「……何うちの親みたいなこと言ってんですか。奥さんは家政婦でも栄養師でもないでしょ。そんなの別に雇えばいいんだ。料理がうまいから結婚するなんてナンセンスすぎ」
 思わず険のある声になってしまった。
 突如として変わった藤代の険悪な態度に三上が虚を尽かれたように黙ってしまう。
 まずいと思いながら、藤代はむっとしたまま、三上を見た。
「なんですか。なんで黙るんです?」
「あ、いや……お前にしてはずいぶんマトモな考え方だなと思って」
「先輩が前時代的すぎんです!そーゆー亭主関白みたいな考え方だから彼女できないんですよ!」
「そうかもな」
 なにかきっと言い返してくると思った三上は、予想と違って柔らかな笑みを浮かべて肯定しただけだった。なにか過去に心当たりでもあるのだろうか。三上の表情に藤代の胸はざわめく。
「先輩はやっぱり料理上手なコがいいの……?」
「いや?俺は自分でできるし。確かにお前の言うとおりだな。そんなもの、基準にならない」
「……まあ、できないよりはできたほうがいいとは思いますけど」
 ごにょごにょと言葉を濁して藤代は居間のほうに引き下がった。

 三上の言葉ひとつひとつに一喜一憂する。

 ――中学生みたいだオレ……。

 いや、中学生の頃のほうがよっほど今より安定していたように思う。
 三上のことについては。

 振り返ればいつもそこにいてくれた。
 手を伸ばせばいつでも届くところに。
 見ていた未来は同じなはずだった。
 幼い錯覚。

 それを引きずったまま、大人になってしまったのだ自分は。

「きっとそうだ……」
 藤代は炬燵に潜り込んで背中を丸めながら、そうひとり呟いた。






――3へ続く。










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