「先輩に手ェ出したら殺す」 ちょうど食堂を出て行こうとしていた自分と入れ替わりのようにやってきた藤代が擦れ違いざま、そう口にした。 「は?」 周囲に人はいない。間違いなく自分にかけられた言葉だろうが、水野は理解が追いつかず、足を止めて藤代をまじまじと見た。 藤代も水野がそうすることをわかっていたかのように立ち止まって見返してきた。そこに浮かべられた表情はいつもの屈託ないものだ。かけられた言葉の意味もさることながら、それがますます違和感を誘って、水野は訝しく思いながら問うた。 「先輩、って……?」 「三上先輩」 先程のやりとりを藤代も見ていたのか、と合点がいった。だが、藤代らしくない言動には合点がいかない。 あんなものは今まで何度だって目にしてきただろうに。 口論とも言えない。ささいなことで絡んでくる三上をいなして、少し言い返しただけだ。確かに先輩に対する態度としては褒められたものではないことくらいは水野も自覚している。 だが、それを他の同輩や先輩が窘めるのであればわからなくもなかったが、藤代はそういうことから最も遠いポジションにいるように思っていた。水野は意外に感じながらも、なんとなく面白くなくて目線を下へ向ける。 「先輩に手なんか上げるわけないだろ。俺だってそのくらいは……」 わかってるさ。そうじゃなきゃ武蔵森にこうして来たりなんかしない、そう続けようとした水野の台詞は藤代の笑ったような声に遮られた。 「違う違う。そっちの手ェ出すじゃなくて」 からっとした声音が、そこでふと潜めるような低いものに変わる。 「恋愛的もしくは性的に、って意味」 「―――」 思わず顔を上げて、再び視線を藤代に向けた。藤代は薄い笑みを浮かべていた。でも目が笑っていない。 「は……?」 「だーかーらー」 一度、目を伏せ、息をついた藤代が次の瞬間、ぐっと距離を詰めて水野の肩に片手を置き、耳のそば近くで囁くように言った。 「三上、先輩に、手を、出したら、殺す、よ? 水野」 囁くようだが、一語一語くっきりとした発音でそう告げられる。 狭まった水野の視界に藤代の極上の笑みが寄せられる。凶悪な笑顔というのは、きっとこういう表情のことをいうのだと思った。 恐怖以上の驚愕にその場でフリーズしたのは――言うまでもない。 不可侵条約締結前夜 ---------------------------------- 武蔵森学園高等部に入学、と同時に同学園付属男子寮に入寮して、はや幾月。 高校サッカーにも寮での集団生活にもまだまだ慣れたとは言い難い。環境ですらそうだ。当然ながら、そこに属するメンバーの個性や関係性については、そのほとんどが未知の領域だ。 それでも藤代に関しては中学時代から度々選抜で顔を合わせていたし、どこにいても相当に目立つ人物であったので、大まかな性格は掴んでいるつもりだった。 それが自らの思い違いであることを水野は今まさに痛感していた。 藤代のような裏表がないように思える人物でもやはり身内に見せる顔は違うのだ。武蔵森はいわば彼の家だ。自分の家ならば普段外で見せている振る舞いと違っていたっておかしくはない。 (家、か……) 思索に耽りながら、水野は自らの比喩にふと立ち止まって己が身を振り返る。 水野にはまだここが自分の家だとは到底思えなかった。 「わざわざ呼び出しといて、テメエが後から来んなよなー」 だらけきった姿勢で談話室のソファに身体を預けた三上が、水野を見上げて言った。 「アンタが早く来過ぎなんだよ……」 呟いた声も自然、小さくなる。確かに呼び出したのは自分で、三上が素直にそれを了承してくれたのが水野には意外でもあり、少し落ち着かなかったからだ。 そして、落ち着かないのは、これから確かめようとしていることも原因のひとつになっている。 「話ってなに」 向かいに座ろうともせず、ただ突っ立ったままの水野を、気怠げに見やって三上は言った。 水野は口を開く前にもう一度自分たちの周囲に人の気配がないことを確認する。この談話室は第二施設でメインの第一談話室に比べると設備や立地の面でかなり劣っている。まず、テレビがない。加えて食堂や風呂場からもずいぶんと離れたところにあり、普段から人の出入りがほとんどない。ゆえに面談や密談の場にはうってつけであり、実際にそうした使われ方をする場所として寮生には認識されている。 水野自身はここを使うのは初めてだが、寮に入りたての自分でさえ用途を知っている場所だ。ここに呼び出されたことの意味を三上が理解していないはずがない。水野は単刀直入に切り出すことにした。 「アンタ、藤代に何させようとしてるんですか」 「ん?」 三上が不思議そうな表情をしてみせる。演技だと思った。すると、なぜか怒りのようなものが込み上げてきて、水野は語調を強くして言った。 「何を企んでんだか知りませんけど、どういう揺さ振りですかアレ」 「おーい、待て待て。話が全然見えないんですけど?」 本気でわからないというように首を捻る三上の態度に、水野はわずかに目を瞠った。 「……アンタの差しがねじゃないのか?」 「なんだその人聞きの悪い言い方は。だいたい、なんで俺が藤代になんかさせる必要あんだよ」 三上の態度に嘘はなさそうだった。 いやでもわからない、と水野は半信半疑のまま、食堂入り口で起こった藤代との事の顛末を三上に語って聞かせた。 「――ってことを……藤代に言われたんだ、けど……」 内容が内容なので最後はどうしても歯切れが悪くなるのは仕方がない。 それでもなんとか伝え切ったあと、窺うように水野はソファに座った三上を見下ろす。 最初、ぽかんとした顔で水野を見ていた三上が、その途端、何かに弾かれたように笑い出した。 「なッ……」 水野はかあっと自分の頬が熱くなるのがわかった。 「なんなんだよアンタたち! わけわかんねえよ!」 激昂したが、三上は笑い続ける。文字通り腹を抱えて。ソファに転がり身体を丸くして三上は収まらない笑いに苦しんでいるようにさえ見えた。どう考えたって笑い過ぎだ。 やはりグルだったのだと思った。自分をからかうために随分と手の込んだ真似をしてくれる。 一時的な羞恥の感情が去ると、水野の感情は一気に冷え込んだ。 「くそっ。ふざけんなよ」 捨て台詞を残して踵を向けた水野の背にようやく笑い止んだ三上の声がかけられる。が、それは水野の感情を再び荒らすことになった。 「ごめんごめん。ごめんね水野クン。俺たち付き合ってるんだわ」 「は?………はあ!?」 身体を起こした三上にもう笑いの余韻は欠片もない。 「そういうリアクション、何年ぶりだろな。新鮮だぜー」 しみじみとそう言った三上に、一方の水野は開いた口が塞がらない。 が、すぐに己の間抜け顔に思い当たって、表情を引き締め、眉を顰めてみせる。 「俺、その手の冗談キライなんスけど」 「冗談じゃねえし」 「マジですか」 「マジで」 三上の目がまったく笑っていないので恐ろしい。水野はなぜだか不自然に口角を上げてしまいながら、半笑いで言った。 「じゃああれは……?」 「もちろん俺の指示じゃねえよ。言葉どおり、アイツからお前に対する牽制」 三上がソファテーブルの上に投げ出されていたサッカー雑誌を手に取って、ぴらりと捲る。もう水野に対して興味が失せたかのような態度だ。各メーカーの新作スパイクがずらりと並んだページが開かれる。三上は続けて言った。 「それと、ヤツにしては遠まわしな俺への愛の告白」 「愛……」 「そう、愛」 左手で肘掛けに頬杖をついて雑誌をめくっていた三上がちらりと目線を上げて笑った。妙に艶かしい笑みに思えた。 水野は不覚にも赤面してしまった。なんという顔で笑うのか。 あからさまに目を逸らし、蒼白になって口走るように呟く。 「やめてください俺には耐えられないこの状況」 「じゃあ聞かなかったことにしろ」 「それもできない今さら」 「じゃあ耐えろ」 「耐えろってアンタ……!」 だんと両手をソファテーブルについた。その水野の勢いに思わずといったようすで三上が身体を引く。 「だいたい、おかしい! 男同士だろ、アンタら! 付き合うとか愛とか何馬鹿なこと!」 真正面からの水野の糾弾に、だが三上はうろたえたようすもなく、気のないような返事だけを返してきた。 「しょーがねえだろ。好きなんだから」 「好、き」 「いちいち復唱するなっての」 三上が苦笑する。 「こんな言い方すりゃ、お前、怒るのわかってんだけどさ……」 サッカーを好きなのと同じようにあいつが好きなんだ。 息するのといっしょみたく。 ごめんな。 そう言って三上は微笑んだ。 綺麗な、透明感のある笑みだった。 そんな表情を見たのは初めてだった。知らなかった。そんな顔をして誰かについて語ること。 「なんで俺に謝るんだよ……意味わかんねえ……」 水野は不機嫌に呟いた。 あれから三上は沈黙してしまった水野を置いて、何事もなかったように雑誌を閉じると談話室を去っていってしまった。 残された雑誌を手にとる。 随分前から放置されていたらしいそれは、もちろん今週号なんかではなくて数ヵ月前に発行されたものだ。どこか見覚えのあるようなないような表紙をぼんやりと眺めながら、水野の脳裏に甦るのは先程のやりとりだった。 男同士。 信じられない、考えたくない。ましてや二人は同じ学校の同じチームの先輩後輩ではないか。そんな間柄で恋愛感情など湧くものだろうか。そりゃチームメイト同士、信頼は不可欠だし、ましてやパサーとストライカーなら夫婦のような息の合ったところも必要で、例えばゲーム中にそんなものがぴしりと決まったときの快感というのは水野も経験したことがないわけではなかったが、だが、……だが! (ありえないだろフツウ!) しかも彼らはそれを隠す素振りもなく、どうやら知った者たちは皆、その事実を認めてしまっているようだった。誰に確認したわけでもないが、三上の口振りからはそんなことが窺い知れた。 それにしても、いくら男子ばかりの寮生活という特異な状態であっても、いや、男子寮だからこそ抑圧された分だけ余分に興味は異性へと向かうのではないだろうか。いや、大多数はそうだ。男子学生らの露骨な飢餓感を水野だって目の当たりにしてきた。暇さえあれば彼女がどうこう、そんな話ばかりだ。 それとも、と水野は思う。二人を始めとし周囲をも巻き込んで自分を担ごうとしているのではないか。そちらのほうがずっとありえた。今もこうして百面相を続ける自分をどこからか影で見て愉しんでいるのではないか。 ふと浮かんだ考えに水野は気になってあたりを見回す。 だが、もちろんそんなことはなくて、談話室も室外の廊下も、ただただ静けさに包まれている。人の気配はない。 水野は溜め息をついて先程まで三上がくつろいでいたソファにその身を預けた。 本気なんだろうか。 それともやっぱりからかわれているだけなんだろうか。 部活中の二人は、いや普段の二人にいたっても、そんな雰囲気は皆無だ。 藤代の発言と、それに対する三上の説明――という名の暴露がなければ、自分は今も知らずにいただろう。 もちろん、穿った見方をすればスキンシップ過多であるのかと思えなくもないが、藤代は往々にしてその傾向があり、何もその対象は三上にだけに限った話ではない。 (しかも言うにことかいて、俺に向かって「手を出すな」だと!?) 何をどうすればそんな発想になるのだ。 想像しただけでソファの上を転げ回りたい衝動に駆られる。 確かに、水野と同じく高等部から編入してきた他の後輩たちは気安く三上と口を聞いたりはしない。内部生を除けば、水野は最も三上と話している後輩になるだろう。ただ、その内容は嫌味と皮肉で彩られた刺々しいものばかりだ。どう考えたって甘さなんて一ミリグラムも含まれていない。 誤解だ!曲解だ! そう叫びたかった。 だいたい三上も三上だと水野は眉を顰める。 誤魔化しようならいくらでもあったはずなのに、あっさり認めた上に、自ら駄目押しのように藤代に対する想いを語るだけ語って去っていってしまった。 残された水野の驚愕や葛藤はすべて置き去りにしたまま――このやり口が藤代のそれと何ら変わらないことに水野は気づく。 (やっぱりアイツらに遊ばれてるだけだろ。くそっ、馬鹿にしやがって……) だがしかし、その半信半疑、眉つばものの懸案は、時を待たずして事実であると水野に知らしめることとなった。 その日の昼休み、水野はただ一人きりになれる場所を探していただけだった。 学園内は広いようでいて狭い。面積に対して人数が多過ぎるのだ。どこへ行っても同じ制服を着た生徒の姿が目に入る。しかもサッカー部の一軍クラスはほぼ全校生徒に顔を知られてしまっている。全国大会常連のサッカー部は武蔵森がもっとも傾注しているクラブのひとつである。その総監督と血の繋がりがあるという事実は今のところ主に部内のみにしか知られていない。水野が母方の姓を名乗っているせいもあるだろう。 だが緘口令が敷かれているわけでもないのだ。人の口に戸は立てられない。噂が広まってしまうのも時間の問題に思えた。そのときまた向けられる視線を思うと、想像だけで水野はうんざりしてしまう。 校内は諦めて寮のほうへ戻ってきた。そのまま自室に篭ってもよかったが、天気がいいので屋上へと向かってみた。それが間違いだったと知るのは事態を目の当たりにしたあとだ。 屋上に出て大きく伸びをした途端、誰かの潜めた声がどこからか耳に入ってきて、そのただならぬ雰囲気に慌てて立ち去ろうとした。 しかしその声が聞き覚えのあるものだった時点で、水野の身体は凍りついたように動きを止めてしまった。 そうして視界に飛び込んできたのは。 「……よせって……」 「いいじゃん、させてよ……」 壁に押しつけられるようにして藤代の抱擁を受けている三上、の図だ。 藤代がその上背でもって三上の動きを封じているようにも見えるが、三上の両腕もしっかりと藤代の背に回されている。 触れ合いそうなくらいに唇を寄せて、囁き合う。 その姿を真横から水野はばっちりと視界におさめてしまった。 水野が固まったままでいること数瞬、ふとこちらを流し見た三上と目が合ってしまう。 三上は声もなく、ただ少し眉間を寄せた。 「先輩、何よそみしてんの」 藤代が三上の表情に気づいて、その視線を追う。 目が合った藤代は三上よりもっと露骨にイヤな顔をしてみせた。 「なんでいんの水野」 それはこっちの台詞だと、怒鳴り返したい衝動を水野はすんでのところで堪える。 三上が俯いて深い溜め息をついた。 「なんつーか……、水野、お前ほんとに間が悪いよな」 「……こ、こんなところでそんなことしてるアンタらが悪いんだろ!」 「はいはい、そーですね。スミマセンっした」 噛みつく水野をあしらうようにして、三上が壁を蹴って身体を起こし、藤代の腕から離れていった。 気まずい。 あまりの居たたまれなさにすぐにもその場を離れたかったが、なぜ自分が立ち去らねばならないのかという意固地な気持ちも働いて、結局その場から水野は動けずにいた。 「あのさー」 動かない水野を呆れたように見て藤代が抑揚のない声をかけてくる。 「水野って三上先輩に対してだけは、たまーに敬語使わないよねー? それってなんで?」 「なんでって……」 言葉に詰まった。その反応がよくないと気づいたのは、藤代の眼光がやけに鋭くなったあとだった。 「ずっと気になってたんだけどさあ、オレ」 「コラ。絡むなっつの」 ぺしっと軽い調子で藤代の後ろ頭を三上が叩く。藤代が唇を尖らせ、文句を返す。そのやりとりはいつもの先輩後輩の姿と何ら変わりない。 しかし水野は今度こそ目の当たりにしてしまった。 数瞬前まで、この二人の間にあったのは確かに濃密な空気。性的なものだった。 己の目で見て初めて実感した。 彼らは確かに付き合っている。 そう思った瞬間、何とも言えない苛立ちが水野を支配した。 「……なんでそうやって堂々としてるわけ? 頭おかしいんじゃねえの。隠せよ」 どうしていつもこちらが居たたまれない気持ちにならなければいけないのか。 水野の言葉にそれまで互いに文句を言い合っていた二人が口をつぐんでこちらへと視線を向けてくる。これ以上言うべきではない、そう思ったときには勢いで口にしていた。 「だいたい……お前らだったら女に不自由なんかしないだろ。何を好き好んで……」 「不自由してるから選んだんじゃねえよ」 返された声は藤代ではなく三上のものだった。先程まで纏っていた気怠い空気は一瞬の内にかき消えて揺るぎない視線が水野を射抜いている。 「俺らが代用品で満足するように見えるか?」 冷たい響きに息を呑む。 背を向けて逃げてしまいたい衝動に駆られたが、水野は堪えた。ここは逃げていい場面ではない。 普段あれほど騒がしい藤代は、まるで別の人格に成り代わったように静かな佇まいでこの成り行きを見守っている。 水野は歯を食い縛るように三上を見つめながら、しかし、はっきりと声にした。 「見えない」 悔恨と謝罪の気持ちを載せた。今のは確かに自分が悪かった。衝動に任せて彼らを侮辱した。 三上はそんな水野の言外の気持ちを汲み取ってくれたようだった。 「そういうこと」 一瞬にして場の緊張を解いてみせ、もう何でもないようすで水野の横を通りすぎ、階段を降りてゆく。 「ま、お前の言うことも一部もっともだしな。とりあえず慰謝料兼口止め料として今晩、風呂上がりのフルーツ牛乳でも奢ってもらえ藤代に」 「え! なんでオレなんスか!」 「お前が悪ぃんだろ。こんなところでサカるお前が」 「うわ、もう、マジ? いっつもオレばっかじゃないッスか! もうやだ! しかも未遂! ああ〜、もー、なんで水野このタイミングで来たりするんだよ〜」 「わ、悪い……」 本気で嘆く藤代に思わず反射的に謝ってしまって水野が我に返る前に、三上が振り返って口を挟んだ。 「コラ、当たんじゃねえよ被害者に」 「わかってますぅ」 何やら自分を置いて会話が進んでしまっていることに水野は焦りを覚える。 「被害者とか慰謝料とか俺……」 もうそのときには三上は階段を降り切ってしまっていて、水野は藤代と二人残される形になった。藤代は肩を竦めて言う。 「いいからー。奢られとけって。ちなみにあと十五分後に来てたら焼肉定食だったぞ」 「え、マジ?」 反射でそう応じながら、その意味することに考えが思い至って思わず眉根が寄った。 藤代がにやりと笑う。 「見たかった?」 「あ、いや……遠慮しとく……」 「はは、見せるわけねーじゃーん」 頭の後ろで手を組んで藤代があっけらかんと笑う。 水野はあきれたようにわざとらしく溜め息をついてみせた。 本当はまた心の内に苛立ちを覚えていた。 三上を好きなようにできるのは、しているのはオレだけなんだと――藤代の度を越した主張が伝わってくるのが煩わしくてならなかった。そして、それを当たり前のように受け入れている三上に対しても。 もやもやとした思いが胸に燻って、消えない。 □□□ 本当にクールなタイプの人間というのはきっと中西みたいなヤツのことだと三上は思う。 水野が初めて言葉をかわした中西を前にして苦手そうな素振りを見せたとき、桐原監督が中西をどこか扱いかねていたような節があったのを三上は唐突に思い出したのだった。 次々と見つかる桐原と水野の共通項は単純に血の繋がりというものを三上に意識させた。 冷静に見せかけて実は激しやすい。卒なく振る舞うのかと思えば妙なところが不器用で。 (ホント、親父にそっくり……) でも、本当にただそれだけなのだ。 心の奥底ではどうだか知らないが、ここでの桐原は完全に水野を一部員として扱っている。無闇やたらと意識しているのは水野のほうだ。 中等部からこの親子には振り回されたり振り回したりしてきたのだ。三上にはわかる。 入学当初、最初に突っかかったのは確かに三上のほうだった。 わだかまりなどとうになく、三上にしてみればそれは軽い挨拶程度のつもりだったのだが、そこでクールだと思っていた水野が過剰な反応を見せたのが意外だった。 しばらくすると、慣れない環境にあきらかに空回ってるのが見て取れて、何かとちょっかいを出すのが癖になった。 寮生活で四六時中、自分を取り繕って過ごすなど、土台無理な話なのだ。 水野はもっと素を出せばいい。 周囲だって、それを待っている。 雑音も多いが、受け入れる懐だって十分に用意されているのだ。 (いい加減、気づけよ) 「先輩、またあいつのこと考えてますね」 ベンチの横に立って目線は正面で繰り広げられるゲームに向けながら、藤代が言った。 「……エスパーか、お前は」 「やっぱりそうなんだ。あーもー、やっと高等部なのに! やあっと一年経ったと思ったらコレだよ!」 藤代がぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き回す。 「そりゃね、先輩があいつのこと必要以上に気にかけんのはわかりますけどね、だって好きなタイプでしょ? 顔も性格も好みっしょ?」 「いや、それはないから」 「嘘ばっかり! 先輩のことはよーっく知ってます」 「お前だって好きだろ?」 「うーん。普通」 「普通か」 三上は思わず笑った。 「嘘。正直ちょっとメンドクサイ。先輩はあーゆーの好きだろうけど」 「面倒なのは俺もごめんだ」 「そうかなー。先輩はあいつの気持ちとか、すーっとわかるんでしょ。オレはわかんない。理解できない。なんであんな表情でサッカーするんだよ、ってね」 「確かに修行僧みたいなツラしてんもんなあ」 目は自然、水野の姿を探し出し、その走り回るさまを追っていた。 水野はビブス組だ。 周囲との連携がどうにもうまくゆかないようで、ビブス着用側は劣勢に立たされていた。 ピリピリとした空気がピッチの外にまで伝わってくる。目に見えない殻で必死に武装して、いったい何と闘っているというのか。 藤代の前で思わずこぼれしてしまいそうになった溜め息を三上はなんとか堪える。 「上水ではそれなりに楽しそうでしたよアイツ」 「けっこ、見てんじゃん。お前も」 からかうように笑みを返すと、あっさり藤代はそれを無視して。 「……なんとかしてやりたいとか考えてるでしょ」 「別に」 「あー、ムカつく。水野ほんとにムカつく。あいつ天然で性悪だ。ヘタな女よりタチ悪ィ」 「天下の藤代誠二様が意識するほどいい男か、あいつは」 「げ! 何! その試してみよっかな〜って発言!」 「お前があんまり何度も俺の前で褒めるからだろ」 「褒めてませんってば!」 「褒めてるって。――聞いたところによると、何やら直球な牽制までかましたらしいし?」 「……やっぱりあいつ、先輩に言いつけやがりましたか」 口調とは裏腹に藤代の目は笑っている。 「計算どおりってか。わざわざ第二に呼び出されたぜ?」 「水野のくせに生意気な」 「お前が言うな」 しばしの間、互いに黙って目の前で繰り広げられる紅白戦を眺めやる。 「浮気は許しませんよ」 「しませんよ」 大きなサイドチェンジが入ってゴール前での流れが変わる。 このワンプレイが終わればそろそろ交替だ。 「もし浮気したら」 「しねえって」 「先輩のこと、ぐちゃぐちゃのどろどろにして、おかしくなるくらい感じさせて、オレの身体に泣いて縋らせてやる」 笛が鳴ってゲームが止まる。 監督からの指示を受けて、各コーチがピッチとベンチにそれぞれ声をかけてゆく。交替を告げられたメンバーが各自準備に入る。 「なあ、藤代」 「はい」 「なんで俺たちが今いるココ、ベンチなんだろうな」 「オレは別に構いませんが」 ビブスを頭からかぶりながら、藤代が淡々と応じる。待機のままの三上はベンチから藤代を見上げた姿勢で、同じように淡々と。 「ダメだろ。渋沢に殺されっぞ」 「じゃあ夜まで待って」 ふわりと掠め取るように藤代の唇が三上の頬に触れ、離れていった。 「大胆だな」 「そうでなきゃ武蔵森のエースストライカーは務まりませんって」 「言ってろ」 笑って、ピッチに駆け出してゆくその背中を送り出す。 太陽の光の下で屈託のない笑みを浮かべる藤代はのびやかで、なんの憂いもないように見えた。 「あーのー」 背後から抑揚のない声がかけられる。心なしか声の温度は低い。 振り向かずとも声の主が誰だか、三上にはわかる。笠井だ。 「水野がこっち見てるんですけどー。目から光線出しそうな勢いでこっち睨んでるんですけどー」 「やべ。見られたか」 「ほっぺチューはギリギリじゃないッスか。俺らの前でもそれギリギリだから」 「お前しか見てないじゃんよ」 「だーかーらー水野も見てたし」 首の後ろに手をやって、三上は参ったというポーズを取ってみせる。 「アイツなー、なーんか間が悪ィんだよな。こないだからずっと」 「道理で水野のやつ、『こないだからずっと』悶々としてるわけですね。あらゆる苦悩を背負っちゃってるオーラ出まくりですよ」 三上はそのまま首を後ろに倒して背後に立つ人物を見上げた。 思ったとおり、呆れた表情をした笠井が立ったまま、こちらを見下ろしている。 「つーか、なんで笠井君?」 「同室のよしみです。なんかもー、すっかり煮詰まっちゃってて、アイツ」 ぶつぶつ言いながら当たり前のように三上の隣りへと腰を下ろす。ストッキングを下げてレガースを外すと横へ置く。先ほどまで笠井はゲームに参加していたのだった。 「そら元々だろうが」 「ただでさえ煮えてたところに、さらにあんたらが余計なことするからですよ。あ、でも余計なことでもないのかな。んん?」 喋っているうちに何やら引っ掛かったことがあるらしく、一人で考察して首を傾げる笠井を見て三上は小さく笑った。 (ちゃんとこうして同室者にも心配してもらえてんじゃねーかよ) 水野の同室に笠井を配した人間は先見の明がある、と三上は思った。 つかず離れず、距離の取り方に長けていて、それでいて大胆な面を見せる。笠井の肝の据わりっぷりは折り紙つきだ。おそらく選定には渋沢あたりが噛んでいるのだろうが、他にも人間観察に優れた同輩先輩がここにはたくさんいる。 (俺ももう少し正攻法で行くか) 「なんかまたろくでもないこと考えてます?」 「お前な、先輩に向かってろくでもねーとか言うなよ」 「やるならやるでうまくやってくださいよ? あれ、俺らの代の超主力になるんですから」 「ハイハイ。畏まりまして」 冗談めかして答えながら、三上はぜひ水野にこの笠井の言葉を聞かせてやりたいもんだなと思った。 ――2へ続く。 |
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