愛しき子らへ |
勢いよく閉まった扉に肩を竦める。 駄々をこねた挙句に捨て台詞とは、まったくあれもまだまだ子どもだな。 「逃げてしまったよ」 苦笑して振り返ると、彼が目を開け、こちらを見上げていた。 「君がそんな顔をする必要はないんだよ?」 額に手をやる。やはり発熱している。薬剤のストックを脳裏で確認してみた。ここを離れて久しいが、新一のことだから使用した分はきっちりと補充していることだろう。そういう点においては信頼がおける。 私は手当ての準備をしながら彼に語りかける。 「あれはね、君に裏切られたと――勝手に思い込んで勝手に傷ついているだけさ。そしてタチの悪いことに、その事実に目を向けようとしていない。義務だの責務だの口にしてね。本質から逃げているのはあれのほうだ」 「裏切ったのは事実です」 凛と、その場に響く声だった。 「すべてを包み隠さないことを指して、誠実とは言わない。口を噤んでいることもまた誠実さのあらわれだ。快斗君、君は新一に対して誠実でなかったことなどないだろう」 「わかりません」 はっきりと物を言う子だ。 曖昧に濁してしまったりしない。 この聡明さからくる潔さを新一も愛しているのだろうに。 「明るみに出た真実を前に、オレは何も言うことができなかった」 自身を断罪するような台詞。 「許しを請うことすら、できなかった」 それは独白に近かった。 誰にも言えない秘密を抱えながら、それでも宿敵であるはずの新一の前から姿を消せずにいた彼の心を想う。 あらゆる危険――そこには正体が暴かれることももちろん入っている――それらを顧みることなく、身を投げ出さずにはいられなかった彼の気持ちを―― 「さて、傷の手当ての続きをしよう。新一に邪魔されたおかげで途中だったからね」 私は腕まくりをし、医療キットをそばへと引き寄せる。 「黒羽快斗くん」 わざとフルネームで呼んでみたが、彼の表情は変わらない。 もうすでに幾度かその名前を呼んでいるのだ。彼にとっては今さらなのだろう。 私が今夜よりずっと前から彼の正体に気づいていたのと同じに、おそらく彼のほうでも、私と彼の父親との間にあった“親交”について何かしら勘づいているに違いない。 「あの、工藤さん」 「ファーストネームで呼びたまえ」 「でも……」 「新一にはそうしているだろう?」 躊躇う表情の彼に言った。 「何なら妻のように“優ちゃん”と呼んでくれても構わないんだがね?」 冗談めかした台詞に、彼が初めて小さな笑顔を見せる。 「わかりました、優作さん」 懐かしい面影。 彼もよく、私の物言いに対してこんなふうに柔らかな笑みを浮かべていた。 記憶が八年の時を遡る。 「少し痛むだろうが心配はしなくていい。医学の心得はあるからね」 私の言葉に彼は素直に頷いて目を伏せた。 江古田高校門扉前にタクシーで乗りつけ、放課後を待ち、彼を攫うようにして連れてきた。 私の姿に一瞬戸惑ったようだった彼はすぐに大人しく促されるまま車に乗り込んだ。 屋敷に着き、リビングへと通す。 どこか落ち着かない顔をしている彼に声をかけた。 「新一はいないよ。あの日飛び出していったままだ」 ソファーに座らせ、怪我の具合を診るからと、学生服の上着を脱ぐように指示した。 シャツの上から腕を掴み、曲げたり伸ばしたりさせながら痛む箇所を尋ねてゆく。 「傷はもうすっかりいいようだね」 「優作さんの適切な治療のおかげです。ありがとうございました」 「治療だなんて大仰なものではないよ。あんなものは簡便な手当てに過ぎない」 あの後はすべて自分で処置したのだろう。 医療の知識と技術もそれなりに身に付けているようだった。大手を振って病院には行けない身であれば当然のことかもしれない。 それにしたって、ひどい顔色だ。傷の治りよりもそちらのほうが気にかかる。 よく眠れていないのだろう。 理由は推測するまでもなかった。 不意に、彼が意を決したように口にした。 「いいんですか?」 「何がだい?」 私は首を傾げてみせる。 「オレは犯罪者ですよ」 彼の口から発せられたそれは、ひどく生々しい響きを帯びていた。 優雅な所作も気障な語り口調もしっかりと先代から受け継いで月下のもと華麗なショーを演じてみせながら、一方で彼は正しすぎるほどに己の所業の何たるかを認識している。 そんな彼の性質は好ましいものではあるのだが――。 まったく新一にしても、この彼にしても、情趣というものに欠ける。それが若さなのだろうが、生真面目すぎる若者たちにはもう少し遊び心を持ってもらいたいものだ。かつての私たちのように。 「そうだね。君は犯罪者だ。君を匿うことで私もリスクを背負うことになるだろう」 彼はポーカーフェイスを貫き通したが、脚の上で組み合わせた両指が一瞬震えるのを私は見つけてしまった。 「正直、貴方みたいなひとが一時的にでも……こちらについてくれるのは有り難いと思っています。だけど、オレにはそれに報いるものが何もない」 淡々と彼は口にする。そんな無表情を装う声こそがいっそ痛々しい。 「つまり」 私は彼の言葉の後を引き取って言った。 「借りを作りっぱなしではいたくないというわけかね」 俯く。図星であることは疑いようもなかった。本当にどこまでも生真面目な若者だ。彼の明晰な頭脳をもってすれば、まんまと転がり込んできたカードを上手く利用することもできるだろうに。 「ならば代価とやらを支払ってみるかい?」 彼が顔を上げて私を見る。私の言葉の意図を探ろうとしているのが、目を見ずともその空気でわかる。 「君がそこまで言うのならね」 「でもオレには……」 私は彼に向き直り、正面から彼を見据えた。 「君は君自身の価値を今ひとつわかっていないようだね」 |
|